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「頭一個分くらいまで水が」津波に巻き込まれ九死に一生 東日本大震災から12年、伝えたい思い【岡山】

2023.03.10

「頭一個分くらいまで水が」津波に巻き込まれ九死に一生 東日本大震災から12年、伝えたい思い【岡山】

東日本大震災で津波に巻き込まれながら、九死に一生を得た女性が岡山市にいます。壮絶な記憶と、12年たった今、伝えたい思いを取材しました。

(平林金属女子ソフトボール部 田畑このみ監督)
「いつも通り好きなソフトをして、それが今この瞬間に奪われたら、果たして、きのう、おとといの練習に満足できたか。もう一度開幕までしっかり気を引き締めて、後悔しないソフトボール人生、自分の人生にしてほしい」

こう話すのは、平林金属女子ソフトボール部監督の田畑このみさん(32)です。当時、宮城県の実業団チームに選手として所属していた田畑さんは、あの日、沿岸部のまち東松島市の職場で地震にあいました。

(平林金属女子ソフトボール部 田畑このみ監督)
「壁が揺れて、壁がしなって、室内にいたのに空が見えたのを覚えている」

その後、連絡が取れなくなった後輩の安否を確認するため、会社の寮に戻った田畑さん。地震発生から1時間ほど経った時でした。

(平林金属女子ソフトボール部 田畑このみ監督)
「音がすごかった。ゴーっという。ぱっと見たときには茶色い水が迫ってきていた。あと頭一個分くらいのところまで水がきていたので、とにかく外に出ようと。窓が割れていたので、そこから外に出た。たまたまプレハブが流れてきたので、そこに一旦登った。やっぱり怖かった」

たまたま流れてきたプレハブの屋根に上り、九死に一生を得た田畑さん、見渡すと目の前を家や車が流れ、そこに見慣れたまちの姿は、ありませんでした。この津波の影響で東松島市ではほぼすべての家が被災し、1133人が命を落としました。

(平林金属女子ソフトボール部 田畑このみ監督)
「あの後一度も戻っていない。どうなっているのかなとは思うが、恐怖が勝つ」

被災後、実家の鹿児島県に戻った田畑さんは、周囲の励しもあり競技を再開。2021年からは、岡山市で監督を務めています。未曽有の被害をもたらした東日本大震災から、3月11日で12年。奇跡的に命を救われた被災者として、今を生きる人たちに伝えたいことがあります。

(平林金属女子ソフトボール部 田畑このみ監督)
「いつ死ぬか分からない。必ず明日が来るとは限らない。その中で当たり前に会社に行って、仕事をして、ソフトボールをして、好きな事をして、ということが当たり前じゃないことを伝えていきたい。『あたりまえにありがとう』ということを伝えていきたい」