2021.01.05
ベンガラの赤い街の人気ソバ店 閉店の危機を救ったのは移住男性
ベンガラの赤い町並みで知られる観光地、岡山・高梁市の吹屋地区に人気のソバ店があります。閉店の危機を迎えたソバ店を救ったのは、東京から移住した男性、店を引き継ぐ決意をした男性を後押ししたのは、地域のぬくもりでした。
ベンガラの産地として栄えた街、高梁市吹屋地区です。赤い町並みは、「ジャパンレッド発祥の地」として2020年「日本遺産」に認定されました。この一角に、観光客の休憩所として親しまれてきたソバ店があります。
(銘形一哉さん(28))
「10月11月オープンしてからものすごいお客さん来て下さって、改めて頑張ろうと思えるようになった」
店長になって3カ月余り、銘形一哉さん28歳です。名物は具沢山の田舎ソバ。実はこの味…、途絶えてしまう所だったのです。
東京の飲食店で働いていた銘形さんは、3年前、吹屋地区に移り住みました。
(銘形一哉さん)
「都会のスピード、人との関りが疎遠であったり、そこにすごい虚無感があり、自分はこの先東京で暮らしていけないなと」
移住先を探してインターネットで検索したキーワードは…。
「村、自然、人とのつながり、物々交換、豊かさ、今でもこれを調べると吹屋のページが一番上にくる」
「私たちの方が世話になっている。若い人には」
地域の人達は、銘形さんを家族の様に「がっちゃん」と呼びます。
「がっちゃん、いい子だから、心配ないから貸してあげなよという声があちこちからかかった」
使われなくなった部屋を借りて、吹屋の住民になりました。
(銘形一哉さん)
「ちょっとした触れ合いで、きょうも頑張ろうといい気持になれるので、それが不思議な街というか、吹屋の人達の魅力だなと思う」
草刈りや配達…。「よろず屋」として働いていた銘形さんは、地区のシンボルだったソバ店が閉店の危機にあることを知りました。
(そばを打っている銘形さん)
「もったいないと、(僕に)やらせてもらえないかとここにいる」
40年の歴史がある名物ソバ店 後継ぎ不在で閉店へ…
この店は、約40年前から、地域の女性たちの組合で運営してきました。しかし、みんな80歳を超え、後継ぎもいません。閉店するしかなかったのです。銘形さんは、ソバ店を守るため、店で働く松浦俊子さんに教えを請いました。
「塩もうちょっと入れたほうがいい?」「そうや」「塩や」「酒入れた?」「感覚、感覚でやるからな」
「松浦さんが作ると、だいたいいつもと同じ味になるんですけど、僕が量を計ってやっても変わってくる」
もう、ソバ作りはおしまいだと思っていた松浦さん。銘形さんの師匠として、再び店に通うことになりました。
(松浦俊子さん)
「うれしいわ、ありがたい。(一生懸命伝えていますね?)「どうかな?」「伝わっているよ」
【貯金を切り崩して引き継ぐ店の改修】
「久ぶりじゃが」「うーん、ようなった」「黒電話も使う」「珍しいって言ってたよ、40年以上よ」
移住から3年 迎えた「二代目ソバ店」オープンの日
【オープンの日】
この日、地域の人達は、銘形さんを手伝いにかけつけました。
(銘形一哉さん)
「本日は皆様お忙しいなか、これだけ多くの皆様に集まっていただけて、うれしいです。ありがとうございます」
「きょうという日を迎えられたのは、自分の至らない点がたくさんありましたが、地域の皆さんが何も言わずに助けてくださり、…移住して3年 涙」
銘形さんが引き継いだ「二代目ソバ店」は、繁盛しています。
(黒電話が鳴る)「♪ジリリリ」
40年前の味を知るお客さんも納得の味です。
(客は)
「(40年ぶりに召し上がって)一緒!おいしい。そばが変わらんわ!」
師匠の松浦さんも太鼓判を押します。
(松浦俊子さん)
「もうちゃんとしてくれてよ、(味が)変わらん言われるからな」
そして今、店には、新しい顔ぶれが・・・。
(青山大空さん(23))
「吹屋で少しでも力になりたいなと思いがあって、ヒッチハイクで福井の方からこさせてもらいました」
「いま、がっちゃんの方(家)で生活させてもらっています。住みついてしまいました」
(銘形一哉さん)
「自分と同じように吹屋の何とも言えない魅力だったり、吹屋の人達の温かさだったり、共感してくれる子たちが少しづつ吹屋に集い始めている感じがするので、一緒に吹屋の人達と関わりながら生活できるような何かが出来ればいいな」
新しい年、多くの人が集うこの店で、銘形さんは、ソバの味と一緒に地域のぬくもりを伝えていきます。