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【阪神・淡路大震災30年】神戸市長田区で母亡くす…98歳の遺族が訴える「備えの大切さ」【岡山】

2025.01.17

【阪神・淡路大震災30年】神戸市長田区で母亡くす…98歳の遺族が訴える「備えの大切さ」【岡山】

阪神淡路大震災から2024年で30年。震災で母親を亡くした女性が赤磐市にいます。地震直後の被災地を思い返し訴えるのは「備えの大切さ」です。

(野上宏子さん)
「もう早30年たったんだなと、早いような遅いような両方の感じがする当事者はいつまでも忘れられない私も(母を亡くした)当事者として毎年お母さんの命日がくるなと思う」

赤磐市に住む野上宏子さん、98歳。

(野上宏子さん)
「優しいけれど厳しい母でした」

地震発生直後、神戸市長田区の実家で暮らしていた当時96歳の母親・森岡のぶさんが被災したとの連絡を受けすぐに岡山から駆け付けました。

(野上宏子さん)
「(実家が)全部南側にガシャンと崩れていた。お母さんそこら辺に寝ていたんだから探してといって、夫がお母さん…お母さん…とかきわけて探してみたが分からず、翌日消防の人が来て母を見つけてくださったが寝室のわきに2階へ上がる階段があってその階段の下まで飛ばされていたと」

到着したのは地震発生日の夜、自分も生まれ育った故郷・神戸のまちは静まりかえり至る所で火の手があがっていて、消防車や救急車のサイレンだけが鳴り響いていたといいます。野上さんはいまも地震のニュースを見るたびにあの時を思い出します。

(野上宏子さん)
「胸が痛む。またここで被害者が出たと思うと胸が痛い」

各地で多発する地震。突然襲ってくる災害から身を守るためにはやはり備えが大切だと野上さんは訴えます。

(野上宏子さん)
「これもあれも足らないんじゃないかとそんなにいらないといわれるけれど知らない人はそうなんだなあと。戦争も知らない、地震もしらないかもしれないが、その時の大変さを私は身に染みているから用意せずにはいられない(若者には)私たちには想像がつかないといわれるがそれでも本当に大変だったんだから備えられるだけは備えなさいと言っている」

震災の翌年から毎年、追悼式典に参加している野上さん。99歳になる2025年は自身の体調を考え少し時期をずらして神戸を訪れることにしています。

(野上宏子さん)
「あの地震さえなければ100歳まで生きていただろうと思う、元気だったから。母からしたら「ひひ孫」ができているよと伝えたい、喜ぶと思う」