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2023.11.09

曾祖母の人生など知り…ハンセン病元患者の声を伝えたい 大叔父の遺志継ぐ女性の思い【岡山】

瀬戸内市のハンセン病療養所で亡くなった曾祖母のことを知るため、生前のカルテや解剖の記録などの開示を求めた女性がいます。曾祖母の生きた証を確かめ、元患者たちの声を伝えていく決意をした女性の思いを聞きました。

(ハンセン病元患者遺族 三好真由美さん)
「この辺ぱらぱらとめくっていったら、この写真が最初に目に飛び込んできてビックリしてこれ見た途端、号泣」

曾祖母・政石コメさんのカルテなどの資料を受け取った、愛媛県松山市の三好真由美さんです。愛媛県で7人の子供を育てていたコメさんは、1940年、61歳の時に瀬戸内市の長島愛生園に強制収容されました。

コメさんはその半年後自ら命を絶ちました。10年以上前から依頼を続け、ようやくコメさんの資料が三好さんのもとに届いたのは2023年7月。カルテや死亡届、コメさんが亡くなった後に行われた解剖の記録なども送られてきました。

(三好真由美さん)
「自分が生きていると周りに迷惑をかける。家族や親族に大変な迷惑をかける、それを恐れていたことと全てに対する絶望ですよね」

同じ瀬戸内海の島、高松市沖の大島にあるハンセン病療養所、大島青松園。三好さんは幼い頃から、母親に連れられて度々訪れていたといいます。ここには、曾祖母のコメさんの息子で三好さんの大叔父にあたる政石道男さんが入所していました。

コメさんが亡くなって7年後、ハンセン病の症状を自覚していた道男さんは、自ら、療養所に入ることにしました。道男さんは14年前に亡くなりましたが、政石蒙というペンネームでハンセン病療養所での生活や家族への思いを、数々の短歌や随筆にして残してきました。

『乱泥流』(政石蒙)より
「らいを病む苦に耐えきれず自殺せし母は母なり我は生きゆかむ」

(三好真由美さん)
「大叔父がずっと亡くなる前まで伝えんといかんのじゃってずっと伝えんといかんのじゃって言ってた」
「おいちゃん(道男さんに)に何かあったら後のことは頼むぞと言われていた」
「政石道男は7番目の末っ子だったのでうんと甘やかされて育ったらしい、育ててくれた大切なお母さんが最後にいた場所最後に生きた証を見つけることが私のできることかなっと思って」

道男さんの遺志を継ぐ覚悟を決めるため、曾祖母のコメさんを知ることは、三好さんにとって欠かせないことだったのです。

(三好真由美さん)
「まずおかえりでした、それ以外の言葉はしばらく出なかった、お帰りという言葉と涙しかでなかった」

我が子を残して強制隔離されたコメさんの思い…。元患者の願いを言葉にして訴え続けた道男さんの遺志。三好さんは、ハンセン病を伝えていきます。