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「泣き虫だった少年時代」から「フィギュアスケーターの憧れ」へ 高橋大輔選手の歩み【岡山】

2023.05.02

「泣き虫だった少年時代」から「フィギュアスケーターの憧れ」へ 高橋大輔選手の歩み【岡山】

オリンピックで日本男子初のメダルを獲得するなどフィギュアスケート界の歴史を切り開いてきた、倉敷市出身の高橋大輔選手。その足跡は多くの後輩にとって確かな道筋となっています。
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痛いことが大嫌いで泣き虫だった少年時代。フィギュアスケートとの出会いは8歳の頃でした。繊細なスケートを武器に頭角を現し、中学時代には全国大会で2連覇。この頃から後に実現することになる夢を抱いていました。
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(高橋大輔選手 子どもの頃)
「夢は、夢は・・・オリンピックで上位3位」
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2010年、バンクーバーオリンピックで日本男子初のメダル獲得となる銅メダルを獲得しました。その後も数々の世界大会で実績を残した高橋選手は、2014年に一度、現役を引退しますが…。

(高橋大輔選手 2018年)
「現役に、もう一度やってみようかなと」

2018年に現役に電撃復帰すると、その翌年にはアイスダンスに転向。異例の挑戦でしたが、2022年の全日本選手権では優勝を飾り、また1つ、新たな歴史を刻みました。
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高橋選手がジュニア時代に所属していた倉敷市のスケートクラブ倉敷FSC。当時、指導していた佐々木美行監督も引退を決断した高橋選手を労いました。
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(佐々木美行監督)
「一言でいえば(高橋選手は)夢を与えてくれた」

クラブでは多くのジュニア選手がその背中を追って日々練習に励んでいます。2022年の四大陸選手権で4位入賞した矢掛町出身の三宅星南選手もその1人です。
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(三宅星南選手)
「一番は四大陸選手権で一緒に滑れたことがうれしかった。これからもプロとして続けていくと思うので、まだまだ背中を追わせていただきたい」

華麗な演技で見る人を引き付けた高橋選手。日本フィギュアスケート界の歴史を切り開き続けた競技生活でした。

高橋選手と同じアイスダンスで北京オリンピックに出場した、備前市出身の小松原美里選手は、「小さい頃から憧れていた、一岡山っこスケーターとして、そしてアイスダンスという魅力的なスポーツを共有させていただいたアスリートとして、引退という大きな決断をした先輩に心より「お疲れ様でした。」そして、きっとすてきな旅の始まりになる門出に「おめでとうございます。」とお伝えしたいです」とコメントしています。