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【独自】入所者の遺体の「解剖録」遺族に初開示 近く一般公開へ 長島愛生園【岡山】

2022.09.02

【独自】入所者の遺体の「解剖録」遺族に初開示 近く一般公開へ 長島愛生園【岡山】

瀬戸内市の国立ハンセン病療養所、長島愛生園に残っていた入所者の遺体の解剖録の内容が、初めて遺族に開示されました。人権侵害がなかったかなどを知る上でも貴重な資料。メディアを通じて内容が伝えられるのは、全国で初めてということです。

(長島愛生園 山本典良園長)
「木村仙太郎さんの解剖の記録、6ページ。直接的な死因は結核によるもの」

亡くなった後の臓器の状態や死因について記録されているハンセン病患者の解剖録です。ドイツ語や英語などで丁寧に書き込まれています。

「ひ臓が11×7×2.2センチ。左の腎臓」

解剖録は、1941年に55歳で亡くなった長島愛生園の入所者、木村仙太郎さんのもので、遺族の木村真三さんが希望し、初めて開示されました。

(入所者の遺族 木村真三さん)
「大伯父が生きた証として、どういう一生をここで迎えたのか、貴重な故人の記録なので、こういうことがあったことを開示するのは大切」

木村さんが、親族にハンセン病患者がいたことを父親から知らされたのは28歳の時。放射線被ばくの研究者として、被ばくの風評被害に苦しむ人と関わる中で、仙太郎さんへの思いは募りました。仙太郎さんのことを知るため、愛生園に通う中で知ったのが、解剖録の存在でした。

(長島愛生園 山本典良園長)
「これが解剖録。1人の患者に4~5ページの記載がある」

本来、廃棄されるはずだった解剖録の存在が明らかになったのは2021年。開園翌年の1931年以降、25年間で亡くなった入所者の8割にあたる1834人分が残されていました。

また、同じ瀬戸内市の邑久光明園でも、解剖録は、見つかっていて、解剖に適切な同意が取れていたのか、人権侵害はなかったかなど調査が進んでいます。

(ハンセン病に詳しい 近藤 剛弁護士)
「当時なぜ(解剖が)行われてきたかを明らかにすることは、入所者、亡くなった人の名誉回復、遺族の思いに応えることにもなる」

今回、開示されたのは、死亡診断書やカルテなど6つの資料です。

(入所者の遺族 木村真三さん)
「すごいことに気が付いた。大伯父の住所が違う。入園の時のこれもうそ」

仙太郎さんが亡くなる1週間前に書かれた解剖の同意書もありました。

(入所者の遺族 木村真三さん)
「大伯父は、ハンセン病で指がなかったから、字も書けない。肺結核が進んで、自分の意思で書くことができなかったと思うので、代筆だと分かった。複雑な気持ち」

一方で、安心したこともあります。

(入所者の遺族 木村真三さん)
「自分で命を絶っていたら、とてもつらいと思っていたが、そうではなく、病気でなくなったということ。(自分は)医学者という立場で、面白がって遺体を扱っているわけではないことだけは明らかに感じ取れた。解剖録があって一族としては良かった」

解剖録は、木村さんの強い要望で、一般にも公開されることになりました。

(入所者の遺族 木村真三さん)
「仙太郎を世間にさらすのではなくて、彼はまっとうに生きていた。生きた証だと思う」

(長島愛生園 山本典良園長)
「木村さんがこういう形で公表することによって、名乗り出ようか迷っている(遺族の)人の後押しになったらいい」

解剖録は、早ければ10月にも公開されるということです。