2024.10.21
AMDAグループ・ 菅波茂代表『1980年AMDA前身の設立』
今回は岡山市の国際医療ボランティア団体AMDAの前理事長 菅波茂さんです。
現在グループ代表としての活動拠点、マレーシアでお話を伺いました。
転機の年…1980年AMDA前身『アジア医学生連絡協議会』を設立
(篠田吉央アナウンサー)
「それでは転機となった年を教えてください。」
(AMDAグループ 菅波茂代表)
「1980年AMDAの前身を設立した年です。」
携帯型ゲーム機「ゲームウオッチ」が発売された1980年。岡山では「きびの郷ワンダーランド」が開園しました。

医学生の内にアジアでネットワークを作る
(篠田吉央アナウンサー)
「今40年の歴史を持つAMDAなんですけれども、その前身をどうして立ち上げようと思われたんですか。」
(AMDAグループ 菅波茂代表)
「1つはですね。昭和44年に全国的に大学のストライキがあって、岡山大学もストップした時に、1年間、東南アジアから、南西アジア、中近東、ずっと自分1人で回りましてですね。なかなか学校で習ったことのない“文化の多様性”を経験したっていうのが1つありますね。
それから2つ目が、1978年にカンボジアから大量の難民がタイに逃げてきたんですね。新聞もメディアも世界から若者が助けに行ってるのに『日本の若者にはボランティア精神はないのか』という、“ボランティア”というのが初めて言われた時なんですね。そのときに私は医者でしたけれども、岡山大学の2人の学生と一緒にカオイダン難民キャンプという所に行ったんですね。そこで国連難民高等弁務官の方に「何かお手伝いしたい」と言ったら、実績のない団体はだめだと言われたんですね。
それで、『アジアでいつ何が起こっても対応できるように、医学生のレベルからネットワークをつくっておこう』という形で設立したのが、1980年のアジア医学生連絡協議会です。それがAMDAに発展していくわけですね。」

『相互扶助』をもとに各国に広がり
(篠田吉央アナウンサー)
「各国の学生の内からつながっていくことによって、的確に対応していくような組織を目指していったわけなんですね。」
(AMDAグループ 菅波茂代表)
「そうですね。医学生の時からお互い友達になっておけば、医者になった時でも、その人間関係は続きますから。それで4年後に1984年にAMDAを設立して、本格的に『緊急人道支援』というのができ出したわけですね。私たちは、誰でも人の役に立ちたい気持ちだけで行動しがちなんですけども、援助を受ける人も反対に、プライドがあって、『自分たちも何かしたいんだ』という気持ちがあることを忘れたらいかんですよね。すなわち『相互扶助』ですよね。そういう形でAMDAの支部というのは増えていったわけですよね。」
「各国の学生の内からつながっていくことによって、的確に対応していくような組織を目指していったわけなんですね。」
(AMDAグループ 菅波茂代表)
「そうですね。医学生の時からお互い友達になっておけば、医者になった時でも、その人間関係は続きますから。それで4年後に1984年にAMDAを設立して、本格的に『緊急人道支援』というのができ出したわけですね。私たちは、誰でも人の役に立ちたい気持ちだけで行動しがちなんですけども、援助を受ける人も反対に、プライドがあって、『自分たちも何かしたいんだ』という気持ちがあることを忘れたらいかんですよね。すなわち『相互扶助』ですよね。そういう形でAMDAの支部というのは増えていったわけですよね。」

