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花火に総踊り、川の流れも新たに…しかし復興はまだ道半ば 西日本豪雨5年【年末回顧 岡山・倉敷市】

2023.12.28

花火に総踊り、川の流れも新たに…しかし復興はまだ道半ば 西日本豪雨5年【年末回顧 岡山・倉敷市】

シリーズでお伝えしている年末回顧。最終日は発生から5年の節目の年を迎えた西日本豪雨です。治水対策も総仕上げの時期を迎え被災地は復興に向け歩みを刻んでいます。

2023年7月、倉敷市真備町で復興を願う花火があげられました。会場となった高梁川の河川敷には大勢の人が訪れふるさとにかつてのにぎわいが戻ってきました。

2018年の西日本豪雨、岡山県内では災害関連死も含め95人の死者を出し、最も被害が大きかった真備町では8カ所の堤防が決壊し、町全体が水につかりました。二度と同じ災害を繰り返さないために、治水対策は総仕上げの時期を迎えています。

(篠原聖記者)
「復興のシンボル、建物の工事が始まる」

倉敷市は真備町箭田地区にある、決壊した小田川の堤防沿いの土地をかさ上げし、約4.5ヘクタールの公園を整備。125件の公募の中から「まびふれあい公園」と名付け防災と交流の拠点として2023年度末に完成させる予定です。10月、多くの住民らが見守る中、その瞬間は訪れました。

(通水開始)「ジャー」

西日本豪雨では、高梁川が増水したことで小田川の水がせき止められて水位が上昇するバックウォーター現象が発生。国は2つの川の合流点を付け替える事業を進めていて新しい川の流れを作り、合流点を今より約4.6キロ下流に移すものです。

12月15日時点での工事の進捗率は90%。2023年度末の完成を予定しています。

(高梁川・小田川緊急治水対策河川事務所 濱田靖彦所長)
「通過点ではあるが、大きな節目になった。今年度末に完成させるという責任を最後まで果たしていきたい」

住民の被災後の生活も節目を迎えました。ピーク時には3415世帯・9074人が入居していた仮設住宅は2023年7月、「みなし仮設」の入居期限が終了し全て解消しました。

一方で、真備町の人口は被災前と比べて2000人以上減少していて人口流出に歯止めがかかっていません。

さらに被災後まもなく、新型コロナが流行し、住民同士の交流が少なくなっているとのいう声もあり、地域のつながりをどう取り戻すかが今後の復興の課題です。

夏の一大イベント、真備船穂・総おどり。4年ぶりの開催となった2023年、豪雨で失った地域のつながりを復活させようと特別な企画が用意されました。

瀬戸内海沿岸に広がる伝統的な山車の一つ千歳楽です。真備町では3つの地区で千歳楽が保管されていて総おどりでは3台が勢ぞろい、豪雨で大きな被害を受けていましたが地域住民らによって少しずつ修復され勇壮な姿で町を練り歩きました。

(地元の人は…)
「(開催されて)とてもうれしい。人が集まれたのがいい」
「みんなが笑顔でとてもうれしいです」

(岡田地区千歳楽実行委員会 福島哲文さん)
「自分も被災したし、みんなも被災した中でいろいろな人の助けがあって生活できた。またいろいろな人の助けがあって、こういう祭りやイベントが開催できた。 5年の節目でみんなで協力しあえた ことがよかった」

(山田晃詩くん)
「4歳。(Q:もうすぐ?)5歳」

真備町岡田地区で暮らす山田乃理子さん(42)。5年前の7月に生まれたのが次男の晃詩くんです。

■晃詩くんが生まれる前日(2018年7月21日)

当時、避難所となっていた岡田小学校には食べ物を求める人で長い列ができていました。臨月を迎えていた山田さんもそのうちの一人。

(山田乃理子さん(当時37歳))
「(出産予定日まで)1週間きっています。なんとか助けていただきながら」

自宅は1階の天井まで浸水し夫の農業用ハウスも全滅。家も仕事も失い先が見えない中での出産でした。晃詩くんが成長した5年間は、家族が復興に向けて歩んだ5年間でもあります。

■晃詩くん1歳(2019年)浸水被害にあった自宅の解体を決意

(山田乃理子さん)
「(被災した家は)気を付けていても下からほこりが上がってくる。(子供は)大丈夫かな、肺をやられないかなと思っていた」

■晃詩くん2歳(2020年)被災した家と同じ場所に自宅を新築

■晃詩くん3歳(2021年)幼稚園入園防災訓練を始める

(山田晃詩くん)
「(先生が)みんな逃げましょうって言う」
(山田乃理子さん)「どうやって逃げるの?」
(山田晃詩くん)「ちょっと早歩き」

(山田乃理子さん)
「借金がまだ残っているから完璧に復興したとは言えないが、私自身が滅入って精神的にだめになるかと思ったタイミングに大丈夫?と声掛けてくれたり、今まで助けてもらった方々に顔向けできるように必死に前を向いて頑張るしかないと突っ走っている。今度は(晃詩くんに)助ける側になってほしいと母としては思う」

5年の節目を迎えても復興はまだ道半ば、被災地は6年目の新年も、少しずつその歩みを刻んでいきます。