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2023.03.13

「逃げ遅れた人を助けられなかった」被災地で救助活動の消防士 使命感新たに 東日本大震災12年【岡山】

東日本大震災で、地震の翌日に救助隊の1人として被災地に派遣された消防士が、岡山市にいます。3月11日で震災から12年。活動を通じて生まれた心境の変化や、今、伝えたい思いを聞きました。

(岡山市消防局特別高度救助隊 安原康右隊長)
「これは救助工作車…これで12年前、宮城県多賀城市へ行った」

岡山市特別高度救助隊の隊長、安原康右さん。東日本大震災の翌日、岡山県から最初に派遣された救助隊のメンバーとして、この特殊車両を運転して被災地へ向かいました。

(岡山市消防局特別高度救助隊 安原康右隊長)
「道路が流木などで封鎖されていて緊急車両が通れないので、この震災工作車のウインチを使って道路警戒重量物を排除した」

活動したのは、宮城県多賀城市。津波により市の面積の約3分の1が浸かり、188人が命を落としました。

(岡山市消防局特別高度救助隊 安原康右隊長)
「水も引ききってなかった。倒木、流木がすごく多かった。車も二階建ての屋根(の高さ)まで重なっていた」

工作車を使った活動と並行して、安原さんが担当したのは、逃げ遅れた人を探す救助活動です。

(岡山市消防局特別高度救助隊 安原康右隊長)
「重なり合う木の間をすり抜けながら探していったら、逃げ遅れた人が2人いて、亡くなっていたが救出にあたった」

岡山県からの救助隊の第一陣は125人派遣されましたが、救出できた生存者はゼロでした。未曾有の災害を目の当たりにし、安原さんの心境にはある変化が訪れました。

(岡山市消防局特別高度救助隊 安原康右隊長)
「防災広報を本当に一生懸命するようになった。『水、非常食を準備しておいて』とか “その時”に備えて自分の身を守る。そういった広報ができれば一人でも多くの人が救えるのかなと」

あれから12年。安原さんは他の救助隊や消火専門のチームも経験しましたが、2022年4月、特別高度救助隊に隊長として戻ってきました。当時の活動を振り返り、救助隊としての使命を日々、後輩の隊員に伝えています。

(岡山市消防局特別高度救助隊 安原康右隊長)
「あの時(被災状況が) “想定範囲外”とよく言われていたが、日常ある救助事案も“想定範囲外”。普段から隊員には 『何もないのが一番良いね』と。ただ何かあった場合には100%の力が常に発揮できる、100%の技術が提示できる救助隊でいようと隊員に伝えている」