岡山放送
2021.11.17
元オリンピアンが目標に定めた”第二の人生のバー”…陸上・荻田大樹さん 決心の理由【香川・観音寺市】
リオデジャネイロ五輪に陸上の棒高跳で出場した観音寺市出身の荻田大樹さんが東京五輪を区切りに競技の第一線を退き、新たな道を歩み始めました。第2の人生で伝えていきたいこととは?その思いに迫りました。
(荻田大樹さん)
「きょう、みんなと一緒に陸上教室をする荻田と言います。陸上で棒高跳やってます。棒高跳、知っている人ー?」
児童たちに陸上の指導を行うのは観音寺市出身の荻田大樹さん(33)です。
陸上の棒高跳でオリンピックに出場した香川が誇るジャンパーは、競技の第一線を退き新たな挑戦をスタートさせました。
(荻田大樹さん)
「自分の育ってきた環境が良かったというのがオリンピックという結果にも繋がったと思う。陸上もそこにあったから、棒高跳もそこにあったから出会えた。」
(荻田大樹さん)
「今後はそのきっかけを(自分が)子どもたちに与えていきたい。」
大野原中学校で棒高跳を始めた荻田さんは県内屈指の強豪、観音寺第一高校に進学し2005年のおかやま国体で初優勝を飾りました。
2016年にはリオデジャネイロ五輪に出場し、夢の舞台で世界の強豪たちと渡り合った荻田さん。その後も、東京五輪を競技人生の集大成と位置づけ練習を続けてきました。
しかし、左足首のケガが思うように治らず、その目標には手が届きませんでした。
(荻田大樹選手)
「そもそもリオで十分やり切ったという気持ちだった。逆に東京まで競技をやらせてもらえて良かった。自分の思うような結果も出せたので満足して終われたと思っている。」
満足して終わることができた現役生活…。
現在は、陸上教室やスポーツイベントの運営などを行う会社を観音寺市に立ち上げ、晴れやかな表情で新たな道を歩み始めています。
「頭だけ倒すのではなく、体ごと倒すイメージ。さあ、やってみよう!」
また、荻田さんは2021年の9月から市の教育委員会と協力して母校の大野原小学校で陸上教室を開いています。
(児童は…)
「いつもはできない練習が出来て良かった。」
「(近々)ハードルで県大会に出る。強い選手がいっぱい出るので速くなれるよう頑張りたい。」
「楽しいし、色々なことが学べて良かった。」
これまでとは別の角度からスポーツ界を盛り上げていきたいと話す荻田さん。
選手として第一線は退きますが、今後も競技を続けながら1人でも多くの人にスポーツの楽しさを伝えていきたいと考えています。
(荻田大樹さん)
「結果を求めすぎるとしんどくなったり、辞めたいと思ったりすることがあるのでそうではなく、生涯スポーツというのを広めていきたい。」
(荻田大樹さん)
「自分たちの生活を幸せにするものの1つにスポーツがあるということを自分が体現していくことも大事だと思っている。死ぬまで跳べるかは分からないが、“まだやっているんだ”と思われるくらいのつもりでやっていけたらと思っている。」
元オリンピアンが歩む第二の人生。
「スポーツを通じた幸せづくり」という新たなバーに向かって跳躍を続ける日々が始まりました。
(荻田大樹さん)
「きょう、みんなと一緒に陸上教室をする荻田と言います。陸上で棒高跳やってます。棒高跳、知っている人ー?」



(荻田大樹さん)
「自分の育ってきた環境が良かったというのがオリンピックという結果にも繋がったと思う。陸上もそこにあったから、棒高跳もそこにあったから出会えた。」

「今後はそのきっかけを(自分が)子どもたちに与えていきたい。」
大野原中学校で棒高跳を始めた荻田さんは県内屈指の強豪、観音寺第一高校に進学し2005年のおかやま国体で初優勝を飾りました。
2016年にはリオデジャネイロ五輪に出場し、夢の舞台で世界の強豪たちと渡り合った荻田さん。その後も、東京五輪を競技人生の集大成と位置づけ練習を続けてきました。
しかし、左足首のケガが思うように治らず、その目標には手が届きませんでした。

「そもそもリオで十分やり切ったという気持ちだった。逆に東京まで競技をやらせてもらえて良かった。自分の思うような結果も出せたので満足して終われたと思っている。」

現在は、陸上教室やスポーツイベントの運営などを行う会社を観音寺市に立ち上げ、晴れやかな表情で新たな道を歩み始めています。



(児童は…)
「いつもはできない練習が出来て良かった。」
「(近々)ハードルで県大会に出る。強い選手がいっぱい出るので速くなれるよう頑張りたい。」
「楽しいし、色々なことが学べて良かった。」



「結果を求めすぎるとしんどくなったり、辞めたいと思ったりすることがあるのでそうではなく、生涯スポーツというのを広めていきたい。」

「自分たちの生活を幸せにするものの1つにスポーツがあるということを自分が体現していくことも大事だと思っている。死ぬまで跳べるかは分からないが、“まだやっているんだ”と思われるくらいのつもりでやっていけたらと思っている。」
元オリンピアンが歩む第二の人生。

