2023.11.10
「スタートラインで泣いちゃった」おかやまマラソンへの思い 有森裕子さん【Liveトーク 岡山】
いま旬な人や話題の人に直接会って話を伺う「中塚美緒のLiveトーク」。今回のゲストは、岡山市出身のオリンピックメダリスト、有森裕子さんです。11月12日号砲のおかやまマラソンへの思いや、今後の夢について、母校である就実高校で話を伺いました。
(中塚美緒アナウンサー)
「有森さんの母校の就実高校に到着しました」
(有森裕子さん)
「すごく変わりましたね」
(中塚美緒アナウンサー)
「見覚えのある場所は?」
(有森裕子さん)
「この校舎はありました。ここは私の教室だった」
(中塚美緒アナウンサー)
「ここが有森さんの青春の場所だったんですね」
(有森裕子さん)
「まあ鳴かず飛ばずの青春でしたね(笑)」
岡山市出身で、女子マラソンのオリンピック2大会連続メダリスト、有森裕子さん。母校の校歌を口ずさみながら向かったのは、有森さんが通っていた校舎の教室です。
(有森裕子さん)
「懐かしい」
(中塚美緒アナウンサー)
「改めてよろしくお願いします。おかやまマラソンがもう間もなく開催されますが、有森さんはスペシャルアンバサダーとして携わられています」
(有森裕子さん)
「最初から思い入れは結構強かった」
(中塚美緒アナウンサー)
「1回目開催された時どうでした?」
(有森裕子さん)
「感動しました。1回目参加した方は覚えていると思うが、私、スタートラインのあいさつで泣いちゃった。泣いたというか、感極まった。自分の故郷の見慣れた道路にランナーがびっしり。無条件で感動した」
2023年は5.6キロのファンランも復活し、4年ぶりにコロナ禍前と同じ規模での開催です。
(中塚美緒アナウンサー)
「ちなみにおかやまマラソン、私も今回参加します」
(有森裕子さん)
「おめでとう!いい言葉がある、初マラソンには」
(中塚美緒アナウンサー)
「教えてください」
(有森裕子さん)
「初マラソンは、とにかくゴールすれば、どんなタイムでも自己ベスト。大会終わった後に必ず言える言葉は、どうだった?自己ベストが出たんだよって」
(中塚美緒アナウンサー)
「続いて就実高校での思い出について深堀りしたいんですが、卒業アルバムを…」
学校からお借りした卒業アルバムを開くと…
(有森裕子さん)
「いたいた、マッシュルームみたいな頭」
実は有森さんが陸上を始めたのは高校1年生の時。陸上部の門をたたきましたが、すんなり入部…とはいかなかったそうで…
(有森裕子さん)
「最初断られて、門前払い。『素人はいらない』って。私その意味わからなくて、私がやりたいと言ってるのになんでダメなの?と、粘り続けてやるって粘り倒して。あまりにしつこいから入っていいと。『でもダメだったら辞めろ、いらんのんじゃから』とその時の恩師に言われて」
こうして始まった陸上人生。転機はその数年後に起きたといいます。
(中塚美緒アナウンサー)
「導きの箱の中に有森さんの転機となった写真を1枚入れていただきました。開けてみます」
(有森裕子さん)
「大学の卒業式です」
(中塚美緒アナウンサー)
「どうしてこの時期を選んだ?」
(有森裕子さん)
「この年にソウルオリンピックが開催されて、ロザ・モタ選手というポルトガルの選手が優勝した。当時日本のマラソン選手は走り終わると、どんだけ嫌な種目なんだというくらい悲壮感あふれて倒れるとか。彼女のゴールシーンが満面の笑顔で、ものすごく喜びを表現して感動した。その姿に。オリンピック出られたらいいなと日記に書いたのが大学4年の最後の日記のページ」
日記に書いた通り、25歳の時、バルセロナオリンピックに出場し、銀メダルを獲得。地元岡山では凱旋パレードが行われるなど、一躍、時の人となった有森さん。続けて出場したアトランタオリンピックでも銅メダルを獲得し、あの名言が生まれたのです。
(有森裕子さん※当時)「自分で自分をほめたい」
(有森裕子さん)
「誰も世の中の人は私が帰ってくると思っていなかったと思う。完全に消えていたので。その時はどんどん新しい選手出てきていた。それでも私は、人の評価はどうでもいいと思っていた。自分がこうするんだと。意地でもするんだと。スタートラインに立って、レース内容が全く苦もなく、思い返してもどこ1つとしてやりきってないことはないと思えた」
(中塚美緒アナウンサー)
「あの言葉は、ご自身がしてきたことの答え合わせ…」
(有森裕子さん)
「そうですね」
周囲がどう言おうと、自分が心から納得できるレースができた達成感。高校の卒業アルバムの寄せ書きに有森さんはこんな言葉を残しています。『根性とは高い目標意識をもって精神を集中し、それを持続する強烈な勝利への意思である』
(中塚美緒アナウンサー)
「ここからは有森さんのお人柄に迫ります。お好きな色のカードを」
(有森裕子さん)
「赤が好きなんで赤」
【最近泣いたのはいつ?】
(有森裕子さん)
「世界陸上で選手を見て、泣いたというより、育てた側の喜ぶ姿をみてじわっとした」
【私の推し】
(有森裕子さん)
「写真にはまっている、風景。風景推し」
(中塚美緒アナウンサー)
「きれいだと思った時に撮る?」
(有森裕子さん)
「きれいと思ったものは瞬間に。目に留めて流してもいいが、二度と見られないものもいっぱいあるから」
有森さんは今、カンボジアで指導者の育成に携わるなど、スポーツを通じた社会貢献に尽力しています。
(中塚美緒アナウンサー)
「これから描く夢・目標は?」
(有森裕子さん)
「私自身がスポーツを通してここまで生かせていただいたので、スポーツがもつ人間や社会に対しての意味意義や可能性。おかやまマラソンや全国のスポーツがそういう位置付けになっていくことに携わっていきたい」
(中塚美緒アナウンサー)
「有森さんの母校の就実高校に到着しました」
(有森裕子さん)
「すごく変わりましたね」
(中塚美緒アナウンサー)
「見覚えのある場所は?」
(有森裕子さん)
「この校舎はありました。ここは私の教室だった」
(中塚美緒アナウンサー)
「ここが有森さんの青春の場所だったんですね」
(有森裕子さん)
「まあ鳴かず飛ばずの青春でしたね(笑)」
岡山市出身で、女子マラソンのオリンピック2大会連続メダリスト、有森裕子さん。母校の校歌を口ずさみながら向かったのは、有森さんが通っていた校舎の教室です。
(有森裕子さん)
「懐かしい」
(中塚美緒アナウンサー)
「改めてよろしくお願いします。おかやまマラソンがもう間もなく開催されますが、有森さんはスペシャルアンバサダーとして携わられています」
(有森裕子さん)
「最初から思い入れは結構強かった」
(中塚美緒アナウンサー)
「1回目開催された時どうでした?」
(有森裕子さん)
「感動しました。1回目参加した方は覚えていると思うが、私、スタートラインのあいさつで泣いちゃった。泣いたというか、感極まった。自分の故郷の見慣れた道路にランナーがびっしり。無条件で感動した」
2023年は5.6キロのファンランも復活し、4年ぶりにコロナ禍前と同じ規模での開催です。
(中塚美緒アナウンサー)
「ちなみにおかやまマラソン、私も今回参加します」
(有森裕子さん)
「おめでとう!いい言葉がある、初マラソンには」
(中塚美緒アナウンサー)
「教えてください」
(有森裕子さん)
「初マラソンは、とにかくゴールすれば、どんなタイムでも自己ベスト。大会終わった後に必ず言える言葉は、どうだった?自己ベストが出たんだよって」
(中塚美緒アナウンサー)
「続いて就実高校での思い出について深堀りしたいんですが、卒業アルバムを…」
学校からお借りした卒業アルバムを開くと…
(有森裕子さん)
「いたいた、マッシュルームみたいな頭」
実は有森さんが陸上を始めたのは高校1年生の時。陸上部の門をたたきましたが、すんなり入部…とはいかなかったそうで…
(有森裕子さん)
「最初断られて、門前払い。『素人はいらない』って。私その意味わからなくて、私がやりたいと言ってるのになんでダメなの?と、粘り続けてやるって粘り倒して。あまりにしつこいから入っていいと。『でもダメだったら辞めろ、いらんのんじゃから』とその時の恩師に言われて」
こうして始まった陸上人生。転機はその数年後に起きたといいます。
(中塚美緒アナウンサー)
「導きの箱の中に有森さんの転機となった写真を1枚入れていただきました。開けてみます」
(有森裕子さん)
「大学の卒業式です」
(中塚美緒アナウンサー)
「どうしてこの時期を選んだ?」
(有森裕子さん)
「この年にソウルオリンピックが開催されて、ロザ・モタ選手というポルトガルの選手が優勝した。当時日本のマラソン選手は走り終わると、どんだけ嫌な種目なんだというくらい悲壮感あふれて倒れるとか。彼女のゴールシーンが満面の笑顔で、ものすごく喜びを表現して感動した。その姿に。オリンピック出られたらいいなと日記に書いたのが大学4年の最後の日記のページ」
日記に書いた通り、25歳の時、バルセロナオリンピックに出場し、銀メダルを獲得。地元岡山では凱旋パレードが行われるなど、一躍、時の人となった有森さん。続けて出場したアトランタオリンピックでも銅メダルを獲得し、あの名言が生まれたのです。
(有森裕子さん※当時)「自分で自分をほめたい」
(有森裕子さん)
「誰も世の中の人は私が帰ってくると思っていなかったと思う。完全に消えていたので。その時はどんどん新しい選手出てきていた。それでも私は、人の評価はどうでもいいと思っていた。自分がこうするんだと。意地でもするんだと。スタートラインに立って、レース内容が全く苦もなく、思い返してもどこ1つとしてやりきってないことはないと思えた」
(中塚美緒アナウンサー)
「あの言葉は、ご自身がしてきたことの答え合わせ…」
(有森裕子さん)
「そうですね」
周囲がどう言おうと、自分が心から納得できるレースができた達成感。高校の卒業アルバムの寄せ書きに有森さんはこんな言葉を残しています。『根性とは高い目標意識をもって精神を集中し、それを持続する強烈な勝利への意思である』
(中塚美緒アナウンサー)
「ここからは有森さんのお人柄に迫ります。お好きな色のカードを」
(有森裕子さん)
「赤が好きなんで赤」
【最近泣いたのはいつ?】
(有森裕子さん)
「世界陸上で選手を見て、泣いたというより、育てた側の喜ぶ姿をみてじわっとした」
【私の推し】
(有森裕子さん)
「写真にはまっている、風景。風景推し」
(中塚美緒アナウンサー)
「きれいだと思った時に撮る?」
(有森裕子さん)
「きれいと思ったものは瞬間に。目に留めて流してもいいが、二度と見られないものもいっぱいあるから」
有森さんは今、カンボジアで指導者の育成に携わるなど、スポーツを通じた社会貢献に尽力しています。
(中塚美緒アナウンサー)
「これから描く夢・目標は?」
(有森裕子さん)
「私自身がスポーツを通してここまで生かせていただいたので、スポーツがもつ人間や社会に対しての意味意義や可能性。おかやまマラソンや全国のスポーツがそういう位置付けになっていくことに携わっていきたい」