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2023.10.20

豊臣秀吉の“四国攻め”の史実が分かる…戦国時代の山城「勝賀城跡」国の史跡指定へ【香川・高松市】

国の文化審議会は10月20日、高松市にある戦国時代に使われた山城、勝賀城跡を国の史跡に指定するよう、文部科学大臣に答申しました。戦国の乱世を伝えると共に、天下人との関わりを示す貴重な文化財です。

古くから港町として栄えた高松市西部の香西地区。この背後にある標高365メートルの勝賀山に勝賀城はありました。急な勾配の先の頂上付近には、土塁や堀、石積みが昔のままの姿で残っています。

土塁に囲まれた中心となる主郭は、約2000平方メートルと県内の山城で最大規模。主郭以外にも9つの曲輪を持ち、大規模な戦闘を想定したつくりとなっています。

勝賀城を拠点としたのは、香西地区を中心に勢力を伸ばした香西氏。室町時代に幕府を動かした細川氏の家臣として力を持ちました。

(高松市文化財課 梶原慎司文化財専門員)
「細川四天王の一人と言われるくらい有力な武家。勝賀城も香川県ではかなり大きな城だと想定される」

しかし、香西氏は1582年、土佐から四国統一を目指す長宗我部氏に攻められてその配下に。さらに1585年には、羽柴秀吉、のちの豊臣秀吉が約2カ月で四国の大名を降伏させて勢力下においた戦い、四国攻めで没落しました。

(前川裕喜記者)
「秀吉の四国攻めで秀吉側の手に落ちた勝賀城。その際、秀吉側によって大規模な改修が行われた。先ほどの土塁もその一つ。駆け上がるのは難しく、高くつくられている。上から矢を射られるとひとたまりもない」

秀吉の特徴である土塁などで囲んだ実用的な山城は、四国では、ここ以外、確認されていません。

(高松市文化財課 梶原慎司文化財専門員)
「四国攻めの様子が分かる遺跡はあまりなく今回、勝賀城が明らかになったことで四国攻めがあったと知ってもらえる遺跡になれば」

勝賀城跡が国の史跡に指定されれば、県内では26件目となります。