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2023.02.24

ウクライナ母娘「この1年で大きく変わった生活、変わらない母国への思い」母は娘を頼って倉敷へ【岡山】

ロシアによるウクライナ侵攻開始から2月24日で1年が経ちました。戦地を逃れ倉敷市に避難してきた女性と、日本で支援活動を続ける娘。この1年で大きく変わってしまった生活と、変わらない母国への思いを取材しました。

イエブゲニア・バビィさん(70)。娘を頼り、倉敷市に避難して半年が経ち、最近、市が提供する市営住宅で一人暮らしを始めました。

2022年2月24日にロシアによる軍事侵攻が始まって以降、イエブゲニアさんの住むウクライナ西部の都市、リビウでも昼夜問わず空襲警報のサイレンが鳴るようになりました。持病があるイエブゲニアさんは、8月、娘の住む日本への避難を決めました。

(リビウから避難 イエブゲニア・バビィさん)
「 いまウクライナの病院では、かなり深刻な状態でないと診てもらえない。 点滴を打っている途中に空襲警報が鳴り、中断することも何度かあった。日本に来て治療を続けられて、だいぶ気持ちが落ち着いた」

もともと2カ月程度を想定したという日本での生活。部屋には必要最低限の家具しかありません。戦闘の長期化でイエブゲニアさんの期待は裏切られ、避難生活は半年を超えました。そんな状況の中、大好きな料理をする時間が癒しのひと時です。

(倉敷市在住の娘 リリヤ・バビィさん)
「(料理をしている時は)落ち着いている。本当に幸せな感じがする。懐かしい味」

リリヤ・バビィさん(41)はイエブゲニアさんの娘で、倉敷市に住んで20年です。

(娘リリヤさん)
「まさか1年続くとは思っていなかった」

少しでも母国の力になろうと、リリヤさんは侵攻開始当初から支援活動を続けています。22年8月から文化や歴史を伝え支援に繋げようとチャリティーイベントを開催。9月にはウクライナのお守り「モタンカ」を作りました。10月にはウクライナの郷土料理、手作りの母の味を紹介しました。

リリヤさんから広がるコミュニティーは、異国で心細い思いをしている人たちにとって心の拠り所となっています。

ウクライナ侵攻で日本に避難してきた人の数は2000人を超え、岡山には12人が避難しています。避難生活が長期化することでリリヤさんが懸念しているのは彼らの心の健康です。

(娘リリヤさん)
「ウクライナに残った家族のことも心配で、日本での生活をどうやっていこうか、未来が見えない人もいる。メンタルの部分が少しでも楽になるようなサポートもしていきたい」

侵攻開始から24日で1年。未だ収束の兆しが見えない中、1日も早く故郷に平和が戻ることを願う日々が続いています。

(娘リリヤさん)
「時間がたつと落ち着くというより慣れていく。こんなこと慣れるのはあまり良くない。1年たった今も、次はどこにミサイルが落ちるか分からない。もしかしたら実家や姉の家、親戚の家かも。もう誰も人が亡くなってほしくない」

(リビウから避難 イエブゲニア・バビィさん)
「自分の国で戦闘が起きていることは、今でも信じたくない。日本にいるけれど、いまも心はウクライナにある」

(娘リリヤさん)
「侵攻が終わったら次の日にも帰りたい?」

(イエブゲニアさん)
「うん」