2021.06.25
住民の命を守った神社の教訓…受け継がれる防災意識 西日本豪雨から3年【岡山・倉敷市】
西日本豪雨からもうすぐ3年です。
倉敷市真備町に当時、地域の人たちが自主避難した神社があります。
多くの命を救った神社で培われた防災意識は、今も大切に受け継がれています。
(旧総代長と新総代長のやりとり)
「220人位いた一番多い時。ここにいられないから、外側で賽銭箱取ってそこに畳を敷いて寝ていた人も」
倉敷市真備町の熊野神社です。
高台にあるこの神社では、10年以上前から、大雨の時には、総代長が本殿などのカギをあけています。
住民がすぐに避難できるようにするためです。
三宅邦夫さんは、この春まで総代長を務めていました。
交代したばかりの新しい総代長、近藤雅志さんに、準備の方法を伝えます。
(近藤雅志さん)
「みんなに声して、頑張って、そういう時には、(鍵を)開けることができたらいい」
(三宅邦夫さん)
「神社に行けば、開いているから、すぐ逃げても大丈夫ということがあれば安心できる」
3年前のあの日も、三宅さんは神社に出向きました。
(三宅邦夫さん<当時>)
「これ開けて、ドアにロックしてあるので、外して部屋に入れるように」「そこと、ここを開けておけば誰でも入れる」
当時は、倉敷市指定の避難所ではなかったため、なかなか物資が届きませんでしたが、住民たちは、当番を決めて食料を配るなど、自分たちの力で避難所を運営しました。
(三宅邦夫さん)
「届け出避難所、市が許可した場所」
西日本豪雨の後、熊野神社は、地域の避難所として市に認定されました。
(近藤雅志さん)
「パイプ椅子、テーブル、毛布マット、転がって寝られるようなもの」
あれから3年…。境内には、備蓄倉庫が設置されていました。
避難する際に、神社の場所が良くわかるように、参道の木々は伐採されていました。
(近藤雅志さん)
「熊野神社に行けば何とかなるよというのがもっと浸透していけばいい」
(三宅邦夫さん)
「我々も地域の活動にできるだけ参加し、防災のことも携わっていきたい」
熊野神社で育まれた地域の防災意識は、これからも受け継がれていきます。
倉敷市真備町に当時、地域の人たちが自主避難した神社があります。
多くの命を救った神社で培われた防災意識は、今も大切に受け継がれています。
(旧総代長と新総代長のやりとり)
「220人位いた一番多い時。ここにいられないから、外側で賽銭箱取ってそこに畳を敷いて寝ていた人も」
倉敷市真備町の熊野神社です。
高台にあるこの神社では、10年以上前から、大雨の時には、総代長が本殿などのカギをあけています。
住民がすぐに避難できるようにするためです。
三宅邦夫さんは、この春まで総代長を務めていました。
交代したばかりの新しい総代長、近藤雅志さんに、準備の方法を伝えます。
(近藤雅志さん)
「みんなに声して、頑張って、そういう時には、(鍵を)開けることができたらいい」
(三宅邦夫さん)
「神社に行けば、開いているから、すぐ逃げても大丈夫ということがあれば安心できる」
3年前のあの日も、三宅さんは神社に出向きました。
(三宅邦夫さん<当時>)
「これ開けて、ドアにロックしてあるので、外して部屋に入れるように」「そこと、ここを開けておけば誰でも入れる」
当時は、倉敷市指定の避難所ではなかったため、なかなか物資が届きませんでしたが、住民たちは、当番を決めて食料を配るなど、自分たちの力で避難所を運営しました。
(三宅邦夫さん)
「届け出避難所、市が許可した場所」
西日本豪雨の後、熊野神社は、地域の避難所として市に認定されました。
(近藤雅志さん)
「パイプ椅子、テーブル、毛布マット、転がって寝られるようなもの」
あれから3年…。境内には、備蓄倉庫が設置されていました。
避難する際に、神社の場所が良くわかるように、参道の木々は伐採されていました。
(近藤雅志さん)
「熊野神社に行けば何とかなるよというのがもっと浸透していけばいい」
(三宅邦夫さん)
「我々も地域の活動にできるだけ参加し、防災のことも携わっていきたい」
熊野神社で育まれた地域の防災意識は、これからも受け継がれていきます。