2026.05.04
JR西日本・林秀樹 岡山支社長『2006年現場長就任』
今回はJR西日本岡山支社長 林 秀樹さんです。
JR西日本岡山支社はモビリティ業のほか、地域活性化を目指したソリューション業なども手掛けています。
転機の年…未曾有の事故から1年 現場の管理職に
(篠田吉央アナウンサー)
「それでは転機の年を教えてください。」
(JR西日本 林秀樹 岡山支社長)
「はい。『2006年、現場長就任』です。」
自動車のご当地ナンバー、「倉敷ナンバー」が導入された2006年、JR岡山駅がリニューアルオープンしました。
「それでは転機の年を教えてください。」
(JR西日本 林秀樹 岡山支社長)
「はい。『2006年、現場長就任』です。」
自動車のご当地ナンバー、「倉敷ナンバー」が導入された2006年、JR岡山駅がリニューアルオープンしました。
(篠田吉央アナウンサー)
「現場長就任ということは、これは管理職になった年ですか。」
(JR西日本 林秀樹 岡山支社長)
「そうですね。2005年というのがご存じのとおり福知山線列車事故という未曾有の事故を引き起こした年でして、それからだいたい1年ぐらいはずっとこの事故の原因を調査するとか、それから緊急の安全対策を計画立案して実施するという仕事をしていたんですね。1年経って、私が京都の乗務員区所、運転手さんや車掌さんを管理する現場なんですけども、そこの現場長に就任したのがこの1年後の2006年だったということです。」

みんなが“自立”した組織へ!各々の人生そのものと向き合う
(篠田吉央アナウンサー)
「事故の教訓というのは、その後の組織の運営にも大きく影響するようになったんですかね。」
(JR西日本 林秀樹 岡山支社長)
「もちろんそうですよね。『結局どこか天の声みたいなものがやってきて、みんな決めちゃうんだよね…』というような。『そのパーツとして精度高く働いていればいいよね』みたいなところで、心も仕事のし方も含めてみんな“自立できていない”というのが、実はこの組織の一番の問題だったんじゃないかって、ずっとその1年間思い続けてたんですよね。みんなが自分で自分のことを決めて、自分の仕事のスタイルを確立して、自分なりの価値観を大切にしながらやっていくような組織に変えていく必要があるっていうことをすごく思っていたので、そのための実験をしようということを心に決めまして、それをやり始めたのがこの現場長というタイミングだったということなんです。直接面と向かって、みんなの人生に対して責任を持つ代わりに、みんなと完全なる信頼関係を結べたらいろんなことを試せますから、そっちの方がこれまでにやってきたやり方よりもずっと生産性も上がるし、みんなのやりがいも上がるし、仕事の精度も上がるということを証明してみせたかった。働いてるみんながこの仕事を舞台ととらえて人生そのものをしっかりと能動的に向き合っているという状態こそが幸せだと自分はもう昔から思ってましたから、そういう状態に近づけていきたいなっていうことをすごい思っていたということですね。」
「事故の教訓というのは、その後の組織の運営にも大きく影響するようになったんですかね。」
(JR西日本 林秀樹 岡山支社長)
「もちろんそうですよね。『結局どこか天の声みたいなものがやってきて、みんな決めちゃうんだよね…』というような。『そのパーツとして精度高く働いていればいいよね』みたいなところで、心も仕事のし方も含めてみんな“自立できていない”というのが、実はこの組織の一番の問題だったんじゃないかって、ずっとその1年間思い続けてたんですよね。みんなが自分で自分のことを決めて、自分の仕事のスタイルを確立して、自分なりの価値観を大切にしながらやっていくような組織に変えていく必要があるっていうことをすごく思っていたので、そのための実験をしようということを心に決めまして、それをやり始めたのがこの現場長というタイミングだったということなんです。直接面と向かって、みんなの人生に対して責任を持つ代わりに、みんなと完全なる信頼関係を結べたらいろんなことを試せますから、そっちの方がこれまでにやってきたやり方よりもずっと生産性も上がるし、みんなのやりがいも上がるし、仕事の精度も上がるということを証明してみせたかった。働いてるみんながこの仕事を舞台ととらえて人生そのものをしっかりと能動的に向き合っているという状態こそが幸せだと自分はもう昔から思ってましたから、そういう状態に近づけていきたいなっていうことをすごい思っていたということですね。」

