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岡山が誇る陸上・短距離界の女王〝復活への軌跡〟

2020.07.17

岡山が誇る陸上・短距離界の女王〝復活への軌跡〟

(齋藤愛美選手)
「辛くても、毎日泣いても、練習を続けたら走れるようになった。」

高梁市出身の齋藤愛美選手。高校時代から日本の第一線で活躍してきた岡山が誇るスプリンターです。現在、東京オリンピックのリレー日本代表候補にも選ばれている20歳。いま彼女が見せる笑顔の裏には、数えきれないほど流した涙がありました。

タイトルを総なめ!高校最速スプリンターとして名を馳せる

小学2年生から陸上を始めた齋藤選手。最初はただ走るのが大好きというだけで、中学までは目立った活躍はありませんでした。才能が開花したのは倉敷中央高校に入学してからでした。

(齋藤愛美選手)
「毎朝起きるのが辛い時もあるが、寝るのが早いので。22時半頃には寝ています(笑)」

毎朝4時45分に起床し、高梁市の実家から7時半の朝練習に欠かさず参加。県内有数の強豪校で確実に力をつけていきました。全国に名を馳せるきっかけとなったのが、4年前に地元・岡山で開催された中国インターハイです。当時高校2年の齋藤選手は、地元開催のプレッシャーをものともせず100m・200m・4×100mリレーの3冠を達成。さらにその3か月後には得意の200mでジュニア日本新記録(23秒45)を樹立するなど、高校では敵なしのスプリンタとして注目を集めました。

(齋藤愛美選手)
「やったよという達成感。1人では出せない記録だった。みんなのおかげで出せた記録。みんなに感謝の気持ちでいっぱい。」

突然のスランプ…女王を待っていた暗く長いトンネル

ところがそんな女王を待っていたのは暗く長いトンネルでした。追われる重圧から走れなくなった齋藤選手。高校最後のインターハイはまさかの無冠ー。陸上の強豪・大阪成蹊大学に進学後もスランプからは抜け出せず…。いつもの笑顔はありませんでした。

(齋藤愛美選手)
「自分を見失ったら全部を見失ってしまった。でもやらなきゃという思い。・・・難しい。」

それでも走ることだけはやめませんでした。

復活を信じてがむしゃらに走り続けた日々

今年1月4日―。約1年ぶりに再会した齋藤選手に涙はなく、晴れやかな表情を浮かべていました。

(齋藤愛美選手)
「去年は大きなきっかけになった。復活とまではいかないが自己ベストに近いタイムも出せた。良かった。」

諦めずに走り続けた成果が去年の秋頃から現れ始めたのです。インカレの200mで初優勝(24秒17)を飾ると、茨城国体は100mで準優勝(10秒64)。さらに冬場は実家の裏山を使って走り込み、着実に自信を深めていきました。

20歳のスプリンター 第2章は再び岡山から始まる

そして迎えた今月12日。齋藤選手は地元・岡山で今シーズンの初戦に臨みました。100mを制し、迎えた200m決勝。冬の走り込みの成果でスタートから楽にスピードに乗れたという齋藤選手。最後まで後続を寄せ付けず、大会新記録の24秒06でフィニッシュ。強かった頃の走りが戻って来ました。

(齋藤愛美選手)
「今年の日本選手権の200mで初優勝が目標。その先に東京オリンピックがある。今までやってきたことを信じて、今度は私がみんなを笑顔にできたらいいな。」

ようやく長いトンネルを抜けようとしている20歳のスプリンター。彼女の第2章は再び岡山から始まりました。