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交通事故で生死をさまよい…元高校球児第2の野球人生プレーボール【岡山】

2021.08.18

交通事故で生死をさまよい…元高校球児第2の野球人生プレーボール【岡山】

交通事故で生死をさまよいながらも、再び野球で夢を追いかける男性が倉敷市にいます。
彼は甲子園出場経験を持つ元高校球児。「障害者野球」で第2の野球人生のプレーボールです。
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鍛えぬかれた体と俊敏な動き。浅野僚也さん(25)です。
(浅野僚也さん)
「ピッチャーとして打たれない自信とか、他の人には負けないくらいの自信は持っていた」
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自慢のバッグです。
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(浅野僚也さん)
「甲子園出たら記念にこれを買ってくれるから」
「年季の入った、野球行くならこれしか僕は考えられない」

浅野さんは野球一筋でした。小学生の時に野球を始め、中学時代には、倉敷市の選抜メンバーとして全国3位に輝くなど、めきめきと上達しました。
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星野仙一さんなど、多くのプロ野球選手を輩出した名門、倉敷商業高校野球部に入部。
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100人を超える部員の中でもピッチャーとして存在感を放った浅野さんは、高校2年生の時、春・夏連続で甲子園に出場し、ベスト8まで進みました。
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しかし、19歳の時。友人が運転する車に乗っていた浅野さんは、自損事故に巻き込まれ、横転した車から投げ出されました。
生きているのが不思議なくらいの大けがでした。
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(浅野僚也さん)
「ここから先、空気位の感覚で、そもそも右腕あるのかなという感じだったけど、退院する時もぶらんぶらん。全く動きもせん」
利き手の右手では、思うようにボールを投げられなくなりました。

(浅野僚也さん)
「野球はちょっとできなさそうねって言われて、えって、絶望というより本当終わった」
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3カ月に及ぶ入院生活、看病を続けた母親が毎日つけていた日記が残っています。
「きれいに治りますように…。野球できますようにお願いします」
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失意の中、インターネットで見つけた「障害者野球」の文字。走れない人には代走が付き、義手や義足、どんな障害があっても自分にできるプレーを精一杯するもう1つの野球です。
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(浅野僚也さん)
「俺よりつらい人いっぱいいるし、それをつらいからとか、動かないからとか、理由を理由にせず、野球をしている。自分もまた頑張ろうと」
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浅野さんは、岡山県のチーム「岡山桃太郎」に入団しました。
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「岡山桃太郎」では、下は高校生から上は80代まで、様々な障害がある選手たちが日本一を目指して練習を続けています。

そこで待っていたのは、同級生との再会でした。高校時代、学校は違っても、同じ大会で甲子園を目指して戦った仲間です。
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早嶋健太さんは、チームのエースです。生まれつき左手の指がありません。
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日本代表として障害者野球の世界大会に出場し、MVPに選ばれるなど活躍していました。

井戸千晴さんも手に障害がありますが、ピッチャーからキャッチャーに転向し、気迫のプレーでチームの要となっています。
(井戸千晴さん)
「すごい運命も感じるし、やっぱり同じ年代で一緒にプレーできるのはうれしい」
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(早嶋健太さん)
「悩みを言えばちゃんと答えも返ってくる。この2人に出会わない人生より、出会えた人生で幸せ」
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障害者野球に情熱を注ぐかつてのライバルの姿は、浅野さんの心を動かしました。
(浅野僚也さん)
「ピッチャーはもうできないのは最初から覚悟していたし、できない中で自分のできることをしたい感じ」
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再びボールを握った浅野さん、高校時代の感覚を頼りに外野手として…、打撃の中心として…、チームの主力となるまで成長しました。

この日の練習…。浅野さんは利き手ではない左手でもキャッチボールをしていました。
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(浅野僚也さん)
「槙原さんみたいにできたら幅が広がるなって」

槙原淳幹さんは、「岡山桃太郎」のキャプテンです。
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幼い頃の事故で右手が使えませんが、左手でボールをキャッチすると、グローブを投げ捨て瞬時に送球する!ボールもバットも左手だけで自由自在に操っています。
(浅野僚也さん)
「槙原さんができるなら自分にもできるかな」

浅野さんの自宅の庭には、大きなネットが張ってあります。障害者野球を始めて、両親や祖父母が手作りしたものです。
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(浅野僚也さん)
「利き腕でない腕で投げるんで、力いっぱい投げようとしたら、後ろの家にあたるとビビッて投げられないので、それでも思い切り投げられるように」
 
(浅野僚也さん)
「励ましてくれたり涙してくれたり、僕のことを思ってくれていることに対し、ありがとう」
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(母・朋子さん)
「本人が生きていて良かったと思える人生にしてほしい、頑張っているからね」
 
九死に一生を得た浅野さんは、第2の野球人生をしっかりと歩んでいます。そんな浅野さんには新たな夢が…。
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(浅野僚也さん)
「一番は、もう1回ピッチャーして、誰にも負けないくらい自信持ったピッチャーになりたい」
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白球を左手に持ちかえ、もう一度あのマウンドへ!高校時代のように浅野さんは、再び障害者野球で夢を追いかけます。