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2024.03.19

民間に天文学広げた約100年の歴史に先人の偉業も…倉敷天文台が中四国初の日本天文遺産に【岡山】

大正時代に民間で初めて作られた倉敷市の倉敷天文台が、中四国では初めて日本天文遺産に認定されました。民間から天文学を広めた100年の歴史を振り返ります。

倉敷市中心部の住宅密集地にある倉敷天文台。天文台ができたのは、国内に官立の天文台しかなかった大正15年、1926年11月でした。倉敷町長を務めた実業家、原澄治が、市民に開かれた天文台が必要として、私財を投じて作りました。

当時としては国内最大級となる口径が32センチの反射望遠鏡を輸入。晴れの日が多く、高い山のないこの場所は天体観測に適していて、1、2ヵ月ごとに星を見る会が開かれました。彗星を観測する時は350人が集まったという記録もあります。

(倉敷天文台 原浩之理事長)
「アマチュアの天文家を育てるのがこの天文台のミッションだったのでそういう人がどんどん集まってきてきっかけになったと思う」

(前川裕喜 記者)
「天文台の立役者となったのは天文台で働いた本田實。なんと天体発見王と呼ばれている」

本田實はアマチュア天文家として生涯に12個の彗星、11個の新星を発見し、国際的な評価を得ています。

(倉敷天文台 原浩之理事長)
「本田先生がいたからアマチュア天文家が生まれたと言っても過言ではない。いろいろなところで天文を発見したという人はおそらくみんな本田先生のことを知っていて研究しているのではないかと思う」

民間から天文学を広めた功績が評価され、日本天文学会が2018年度から認定している日本天文遺産に選ばれました。

(倉敷天文台 原浩之理事長)
「先人たちと共に喜びをかみしめている。(今後も)星を見てみたいと思う子たちが来る。(例えば)ここで初めて木星を見てきれいだと思ってもらい星を見るきっかけづくりができる場所でありたい」

大正から令和へと時代が目まぐるしく変化する中、倉敷から星を見つめ続けた天文台。その功績は今も輝きを放ち続けています。