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長いトンネルを抜けつかんだ東京五輪…陸上400メートルリレー代表・齋藤愛美さんの軌跡【岡山・高梁市】

2023.12.07

長いトンネルを抜けつかんだ東京五輪…陸上400メートルリレー代表・齋藤愛美さんの軌跡【岡山・高梁市】

東京オリンピック陸上の400メートルリレー代表で、高梁市出身の齋藤愛美さんが現役を引退しました。喜びも悲しみも味わった競技人生。その軌跡を振り返ります。

(齋藤愛美さん)
「現役の時は気持ちが張り詰めていて、正直、最後の方は限界だった。今はすごく次の生活が楽しみという準備段階」

齋藤愛美さん(24)。2023年10月に現役を引退しました。

(齋藤愛美さん)
「起きるのが辛い時もあるが、寝るのが早いので大丈夫。毎日22時半頃には寝ている(笑)」

小学2年生の時、陸上を始めた齋藤さん。中学までは目立った活躍はできず、「強くなりたい」という思いで、陸上の強豪、倉敷市の倉敷中央高校に進学しました。

自宅がある高梁市から1時間半かけて通学し、練習に励む毎日。その才能が開花したのが、2016年に岡山県で開催された中国インターハイです。地元の応援を力に変えて、高校2年生ながら短距離の3種目で優勝。さらにその3ヵ月後には、得意の200メートルでジュニアの日本記録を更新しました。この記録は、今もまだ破られていません。

(齋藤愛美さん)
「やったよという達成感。1人では出せない記録。みんなのおかげで出せた。感謝の気持ちで一杯」

しかし、その後は追われる重圧から勝てなくなり、長く暗いトンネルに迷い込みました。陸上から離れようとした時期もあったと当時を振り返ります。

(齋藤愛美さん)
「高校2年生で自分が思っていた以上の成績が出て、周囲の環境が変わったように感じてしまい、自分が思っていた以上の壁があった。現役は辛いことの方が多かったように感じる。(何が支えになった?)とりあえず悔しかった。高2の時にできたことが何でできないのか。今まで中学生や高校生でブレイクした短距離選手は潰れていくという女子短距離界の勝手な思い込みがあって、自分はどうしてもそれになりたくなかった」

過去の自分に打ち勝つため、再び前を向いた齋藤さん。

(齋藤愛美さん)
「復活とまでは行かなかったが、自己ベストに近いタイムも出せた」

大阪市の大阪成蹊大学に進学してからも自分を信じ、諦めずに走り続けました。その成果が実を結び、2021年、大学4年生の時に、日本選手権の200メートルで3位入賞を果たすと、東京オリンピックの400メートルリレーのメンバーとして日本代表に選ばれました。

夢だったオリンピックの舞台には第3走者として出場。

(実況)
「齋藤にバトンが渡った!」

惜しくも決勝進出はなりませんでしたが、懸命の走りで日本中を沸かせました。

(齋藤愛美さん)
「コツコツ練習をしていたら何かが変わるというかチャンスが来るかもしれないと思っていたし、来たチャンスは絶対に逃さないと強く思っていた。五輪が延期になったことはチャンスだと思ったので出られるとは思っていなかったが、チャンスを無駄にしたくないと思って、人一倍努力した」

オリンピックが終わってからは、なかなか次の目標が見つけられませんでした。腰の痛みもあって今シーズン限りでの引退を決意し、地元・岡山県で最後のレースに臨みました。

(齋藤愛美さん)
「明日も練習か…くらいで最初は実感がなかったが、決勝ではさすがにぐっとくるものがあった」

高校時代にその名を刻んだ競技場。以降、喜びも悲しみも経験した競技人生。最後は応援してくれた人たちへの感謝の気持ちを胸に、思い出の地を駆け抜けました。

(齋藤愛美さん)
「陸上を始めたきっかけは両親がしていたからで、そこは1番に感謝している。自分がこんなに練習で追い込めたのは先輩や後輩がいたから。今後に役立つ成績もあるが、成績というよりは人との出会いや、誰かに感謝の気持ちを持てるようになったので、すごく幸せな競技生活だった。陸上をやって本当に自分には合っていたなと思う」