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101歳の生涯…「芭蕉布」人間国宝の平良敏子さん逝く 織物復興の原点は倉敷に【岡山】

2022.09.26

101歳の生涯…「芭蕉布」人間国宝の平良敏子さん逝く 織物復興の原点は倉敷に【岡山】

戦時中、倉敷市にある軍需工場に動員された女性が9月、101歳で亡くなりました。沖縄の伝統的な織物、「芭蕉布」人間国宝の平良敏子さん。沖縄戦で焼け野原になった故郷に帰り、織物の復興に生涯をかけた原点は倉敷にありました。平良さんの死を惜しむ関係者を取材しました。
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イトバショウという植物の繊維から織り上げた芭蕉布。手がけているのは沖縄の伝統工芸品芭蕉布の人間国宝、平良敏子さんです。

(2002年当時の平良敏子さん)
「良い繊維を取って良い作品を作り、後の世に遺したいと思っている」

9月13日、老衰のため101歳で亡くなった平良さんの告別式は、芭蕉布の産地で平良さんの故郷、沖縄県大宜味村で営まれました。遺影は、糸を紡ぎうつむく穏やかな表情の平良さんです。
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(倉敷民芸館 大原謙一郎館理事長)
「平良敏子さんは倉敷・岡山の人からとても人気があった。敏子さんが来たらみんなが集まってくるという感じで、人柄的にも素晴らしい人」
「元気のいい活発なお姉さんで、機を織るのが楽しくてしょうがないと」

平良さんと親交があった倉敷民芸館の大原謙一郎理事長です。現在の倉敷駅北側にあった倉敷紡績の工場には戦時中、航空機製作所が置かれ、平良さんは勤労挺身隊として沖縄から動員されました。
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戦後、大原理事長の父で倉敷紡績の大原總一郎社長は、沖縄の文化を倉敷に残そうと平良さんたちに織の勉強会を開きました。

大原社長は2年半の滞在を終え沖縄に戻る平良さんに「沖縄の織物を守ってほしい」と声をかけたそうです。
たいら3良さんはこの言葉を胸に、途絶えかけていた芭蕉布の復興に取り組みました。2000年には人間国宝に認定され、100歳を超えても後継者の育成に携わりました。
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2021年、平良さんの工房は、大原理事長が審査員を務める倉敷民芸館賞を受賞しました。

(倉敷民芸館 大原謙一郎理事長)
「倉敷民芸館賞は作り手が一番大事だが、その時の賞は平良さんの後継者、平良さんの指導を受けながらやっている工房だった。平良さんの意思がどんどんつながっていくのが実感できた」
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平良さんは生前、芭蕉布復興の原点となった倉敷にも足を運んでいました。この時は52年ぶりの訪問でした。

(2021年4月当時の平良敏子さん)
「(芭蕉布を守るには)ただともしびを消さない程度ということしかできないと思う」

倉敷から始まった平良さんの思いはこれからも生き続けることでしょう。

(倉敷民芸館 大原謙一郎理事長)
「敏子さんの技も思いも両方ともしっかり受け止める方がいる。さらに若い後継者までできている。平良さんの技術だけでなく人格の力。素敵なお姉さんだった」