2022.05.16
高橋大輔選手を追い、羽生結弦選手と競って…引退・田中刑事さんのフィギュアスケート人生【岡山・倉敷市】
2022年4月に引退を発表した倉敷市出身でフィギュアスケートの田中刑事さん。20年間打ち込んできた競技人生を振り返ります。
氷上のエンターテインメントショー、「プリンスアイスワールド」。倉敷市出身で平昌オリンピックに出場した田中刑事さん。プロスケーターとして挑む初めてのアイスショーです。
(田中刑事さん)
「自分で折れずに、最後までできたのはこれからの糧になると思う」
あどけない表情を見せる男の子。当時、小学3年の田中刑事さんです。1年生で競技を始めた少年は、この頃、すでに大きな夢を抱いていました。
(田中刑事さん・当時小学3年生)
「オリンピックの選手になって、オリンピックに何度も出たい」 小学校の高学年になり全国大会で活躍し始めた田中さん。 そこで出会ったのが同い年の羽生結弦選手でした。2006年に地元、倉敷市で開かれた全国大会では羽生選手を抑え2位となりました。
(田中刑事さん・当時小学6年生)
「うれしいです」
その後、中学3年生で初めて全日本選手権に出場し8位。
高校1年生の時には世界ジュニアで銀メダルを獲得するものの、シニア転向後はなかなか結果が出ず、ライバルの羽生選手の活躍に悔しさを感じていました。しかし…。
(田中刑事さん)
「羽生君が突きあがっていて、シニアの世界にあがっていったときには僕と日野(龍樹)君が彼を追う構図になっていて、2人いたから腐らず追わないとけない苦しさだったり、彼がすごい前進していたので。そういう時期を、一人ではなかったから頑張れたのかなと」
田中さんは、フィギュアスケートについて特殊なスポーツと話します。
(田中刑事さん)
「“一人でやるスポーツなのに一人でやるスポーツではない”競技だと思っていて、改めていろんな人に支えられてやってきたのだと思う」 そして…ライバルを追うこと4年、ようやくつかんだ夢の切符。平昌オリンピック。ショートを20位で迎えたフリー。田中さんは、攻めの姿勢を貫きます。
(実況)「4回転サルコウ決めました」
しかし次の4回転で転倒。それでも…。
(実況)「トリプルルッツ、ダブルトウループ、ダブルループの3連続」
最初で最後のオリンピックを18位で終えました。
(田中刑事さん)
「(五輪は)自分をコントロールしきった者だけがあの舞台で結果を残せると感じていて、メダリストだったり、良い演技をした選手が、結果そうだったのかと思う」
この日、田中さんは、自身の原点でもある倉敷フィギュアスケーティングクラブで多くの仲間と競技生活最後の滑りを楽しみました。 感謝を込めて…。 家族への感謝…支えてくれた監督・コーチ・仲間に感謝…
(北京五輪アイスダンス代表 小松原美里選手)
「そのまんま突き進んでさらに深みだったりとか、輝きを増して魅力的な刑事をもっともっとみたいと思う」 (北京五輪アイスダンス代表 小松原尊選手)
「引退してからも応援したいし、一緒にどこ(どのイベント)でも頑張りたいと思う」
会場にはクラブの先輩でオリンピックの銅メダリスト、高橋大輔選手も駆け付けました。
(高橋大輔選手)
「一度目の引退は同い年ぐらいだったので、よく頑張った方だなと。これから違う形でフィギュアスケート界を盛り上げてくれるのではという期待とですごく楽しみな気持ちです」
幼い頃から指導してきた倉敷FSCの佐々木美行監督は…。 (倉敷FSC 佐々木美行監督)
「もうちょっと見たかったが、新しい一歩というのは希望だなと思う」 自分に点数をつけるとすれば?
(田中刑事さん)
「まだ採点中だと思う。今後も採点中だと思う。自分の中で終わった実感がない。だからこそ、次に進みやすかったのかと。むしろステージも同じなのかもしれない。ちょっと目線が変わるだけ、視点が変わるだけかもしれない」
これからは、プロスケーターと指導者の道を歩む田中さん。27歳の挑戦は続きます。
氷上のエンターテインメントショー、「プリンスアイスワールド」。倉敷市出身で平昌オリンピックに出場した田中刑事さん。プロスケーターとして挑む初めてのアイスショーです。
(田中刑事さん)
「自分で折れずに、最後までできたのはこれからの糧になると思う」
(田中刑事さん・当時小学3年生)
「オリンピックの選手になって、オリンピックに何度も出たい」 小学校の高学年になり全国大会で活躍し始めた田中さん。 そこで出会ったのが同い年の羽生結弦選手でした。2006年に地元、倉敷市で開かれた全国大会では羽生選手を抑え2位となりました。
(田中刑事さん・当時小学6年生)
「うれしいです」
その後、中学3年生で初めて全日本選手権に出場し8位。
(田中刑事さん)
「羽生君が突きあがっていて、シニアの世界にあがっていったときには僕と日野(龍樹)君が彼を追う構図になっていて、2人いたから腐らず追わないとけない苦しさだったり、彼がすごい前進していたので。そういう時期を、一人ではなかったから頑張れたのかなと」
田中さんは、フィギュアスケートについて特殊なスポーツと話します。
(田中刑事さん)
「“一人でやるスポーツなのに一人でやるスポーツではない”競技だと思っていて、改めていろんな人に支えられてやってきたのだと思う」 そして…ライバルを追うこと4年、ようやくつかんだ夢の切符。平昌オリンピック。ショートを20位で迎えたフリー。田中さんは、攻めの姿勢を貫きます。
(実況)「4回転サルコウ決めました」
しかし次の4回転で転倒。それでも…。
(実況)「トリプルルッツ、ダブルトウループ、ダブルループの3連続」
最初で最後のオリンピックを18位で終えました。
(田中刑事さん)
「(五輪は)自分をコントロールしきった者だけがあの舞台で結果を残せると感じていて、メダリストだったり、良い演技をした選手が、結果そうだったのかと思う」
この日、田中さんは、自身の原点でもある倉敷フィギュアスケーティングクラブで多くの仲間と競技生活最後の滑りを楽しみました。 感謝を込めて…。 家族への感謝…支えてくれた監督・コーチ・仲間に感謝…
(北京五輪アイスダンス代表 小松原美里選手)
「そのまんま突き進んでさらに深みだったりとか、輝きを増して魅力的な刑事をもっともっとみたいと思う」 (北京五輪アイスダンス代表 小松原尊選手)
「引退してからも応援したいし、一緒にどこ(どのイベント)でも頑張りたいと思う」
会場にはクラブの先輩でオリンピックの銅メダリスト、高橋大輔選手も駆け付けました。
(高橋大輔選手)
「一度目の引退は同い年ぐらいだったので、よく頑張った方だなと。これから違う形でフィギュアスケート界を盛り上げてくれるのではという期待とですごく楽しみな気持ちです」
幼い頃から指導してきた倉敷FSCの佐々木美行監督は…。 (倉敷FSC 佐々木美行監督)
「もうちょっと見たかったが、新しい一歩というのは希望だなと思う」 自分に点数をつけるとすれば?
(田中刑事さん)
「まだ採点中だと思う。今後も採点中だと思う。自分の中で終わった実感がない。だからこそ、次に進みやすかったのかと。むしろステージも同じなのかもしれない。ちょっと目線が変わるだけ、視点が変わるだけかもしれない」
これからは、プロスケーターと指導者の道を歩む田中さん。27歳の挑戦は続きます。