2025.03.03
平林金属・平林実代表取締役社長『1997年ドイツでの覚悟』
今回は「平林金属」 代表取締役社長、平林 実さんです。
「平林金属」は金属リサイクルをコアに家電リサイクルやえこ便など多彩な事業を展開しています。
転機の年…『平林金属が要らなくなる…』ベンツ社リサイクル工場での衝撃
(篠田吉央アナウンサー)
「それでは転機となった年を教えてください。」
(平林金属 平林実代表取締役社長)
「1997年、ドイツでの覚悟です。」
1997年には、高松市に「コトデンそごう」がオープン。倉敷市に「倉敷チボリ公園」がオープンしました。
(篠田吉央アナウンサー)
「ドイツでの覚悟ということなんですけれども、どんな思いになったんですか。」
(平林金属 平林実代表取締役社長)
「1996年、ドイツで『循環経済・廃棄物法』という法律が変わったんですよ。だいたいヨーロッパのそういった法律の5年遅れに日本は当時やってたんで、『2001年に何か始まるぞ』と思ってドイツへ視察に行ったんですよね。ベンツ社のリサイクル工場ができたばかりで、世界で最初に見学に行ったのが私だったんですけど、それを見た時に、『ああ、もう平林金属いらなくなるな』という衝撃があったんですよね。作ったその会社が自分の製品をどうやってリサイクルするか…というのが、もう既に始まっていて、じゃあ将来そうなった時に対応できるかどうか、会社を辞めるか続けるかという選択に迫られた瞬間でしたね。」

どう生き残るか…“人に来てもらえる企業づくり”を進める
(篠田吉央アナウンサー)
「じゃあ、どう生き残っていこうと考えられたんですか。」
(平林金属 平林実代表取締役社長)
「『作った方なら、どういう風にリサイクルするだろうか』とか、それからやはり環境に関わることなので、『ご近所から応援してもらえるような…そういったリサイクルの工場って何だろうか…』とか、長く続けるために、それを1手ずつやってきたということでしょうかね。東京とか大阪に比べると、仕事のボリュームは地方の方が少ないですから、同じ機械を持っていたとしても、1週間分の仕事量が無いわけですよね。なのでこの仕事とこの仕事を組み合わせして1週間分の作業量を確保するとか、そういうことをずっと続けていたら、多品種いろんなことができるようになったということですよね。
もう一つは、我々3Kの産業には年配の方しかいなかったので、人がいなくなったらどうしようというのがもう最初からテーマだったので、何か“人に来ていただける企業づくり”って言いますかね。それも同時にやってきて、今に至っていると思います。」
「じゃあ、どう生き残っていこうと考えられたんですか。」
(平林金属 平林実代表取締役社長)
「『作った方なら、どういう風にリサイクルするだろうか』とか、それからやはり環境に関わることなので、『ご近所から応援してもらえるような…そういったリサイクルの工場って何だろうか…』とか、長く続けるために、それを1手ずつやってきたということでしょうかね。東京とか大阪に比べると、仕事のボリュームは地方の方が少ないですから、同じ機械を持っていたとしても、1週間分の仕事量が無いわけですよね。なのでこの仕事とこの仕事を組み合わせして1週間分の作業量を確保するとか、そういうことをずっと続けていたら、多品種いろんなことができるようになったということですよね。
もう一つは、我々3Kの産業には年配の方しかいなかったので、人がいなくなったらどうしようというのがもう最初からテーマだったので、何か“人に来ていただける企業づくり”って言いますかね。それも同時にやってきて、今に至っていると思います。」

