2021.08.10
西日本豪雨から3年 あなたがメッセージを伝えたい人は誰ですか?
泥水に点々と散らばる家の屋根。ふるさとの光景は一夜にして変わり果て、多くの命が失われました。
西日本豪雨から3年。岡山県倉敷市真備町は、まちの復旧から再生へと復興のステージを移しています。
あれから3年、あなたがメッセージを伝えたい人は誰ですか?
(日の丸タクシー 井上敏之さん)
「それはすごいですよ。車の上に車が乗っかって」
【3年前タクシー22台バス11台が水没した日の丸タクシー】
「最初の頃は町の明かりが全くなかった。
不気味というか。その時のことを考えたら復興できているとは感じます」
【同業社から譲ってもらうなどして2021年3月 ようやく車両数が被災前と同じに】
【井上さんは3年間 町を走り続けてきた】
「ここがアルミ工場があったところ。この辺りが一番ひどかった、水害と爆発で。
だから全部(家を)建て替えた人ばかり。
すごい災害が起きてしまった」
【日の丸タクシー 井上敏之さん→お客さんへ】
「災害から3年が経とうとしています。日の丸タクシーの車両もタクシーもバスもほぼ復活しているので、これからもお客様に安心安全をモットーに営業を続けていきたいと思うので、ご乗車よろしくお願いします」
真備町で生きていくことを決めた八塔さんから、娘へ。
続いてメッセージをもらったのは…2020年、第一子が生まれた真備町に住む八塔さん夫婦。
八塔さんは3年前、実家が1階の天井まで浸水。この時、倉敷市内の別の場所に住んでいた八塔さんは、真備町に避難勧告がでると、すぐに実家に駆け付け、家族をつれて避難しました。
(八塔諒平さん)
「やっぱり7月になったら思い出します毎年。携帯でアラームが鳴ったらドキッとするし」
【被災から1カ月後に入籍 新居を建てた場所は…】
「実家がすぐそこです。
目の前なんで何かあったらすぐ駆け付けられる。(災害発生直後、家族が)まだ逃げていないというので、心配になって、すぐ帰ろうと思っても、帰るまでの時間がすごく長く感じた。
(実家の)家族を近くで見ておける安心感があったので、ここに家を建てました。真備に住み続けます」
真備町で生きていくことを決めた八塔さんから、娘へ。
「柚月へ。柚月が生まれた真備町は、自然が豊かできれいなところです。
でも柚月が生まれる前、人生で一番大きな出来事がありました。被災してから辛い思いや大変な思いもたくさんしましたけど、お父さんお母さんが力を合わせて、実家の家族、柚月のおじいちゃんおばあちゃん、ひいおじいちゃんも皆で一生懸命ここで頑張ってきました。
これから柚月がどういう風に育っていくか分からないけど、この自然がきれいな真備町で元気いっぱいすくすく育っていってください」
そこに生きる人の数だけ伝えたいメッセージがある
(鎌田種苗店 鎌田智子さん→お客さんへ)
「災害から3年が来ようとしています。
やっと真備町に入ってこれたよというお客さんもいたし、うちもぼちぼち軌道に乗りつつあります。
これからも頑張りますのでよろしくお願いします」
(うどんかわはら川原涼さん→3年前力を貸してくれた人へ)
「3年前困っている僕たちに力を貸してくれたたくさんの人達へ。僕らの友達や周りの方が、僕らに力を貸してくれて、片付けを手伝ってくれました。
あの時は本当に皆さんの力があって、色々なことを進めることができて、今こうして充実した日々を過ごすことができています。本当にありがとうございました」
(うどんかわはら 川原艶子さん→災害直後にアイスをくれた見知らぬ人へ)
「3年前のあの暑い夏に、1本のアイスクリームをくれたお母さんへ。どうやってこれから生きていこうかという時に頂いたあのアイスの味は、今でも忘れられません。
私もこんな大事なものを、知らない人のために差し出せるような人になりたいと思って、その気持ちで3年間商売をやってきました。
本当にうれしかったです。ありがとうございました」
【バイクなどが全て水に浸かった自転車店 1年半かけて営業が全面再開】
(池野サイクル 池野一馬さん→真備町を離れているお客さんへ)
「店もだんだん開店して増えてきたし、安心して早く(真備町に)帰ってきてもらいたいです。人が帰らんと寂しいですわな」
(高校2年 川相愛佳さん→中学3年の時の担任の先生へ)
「被災したとき、心配をして電話をしてくれて、
今まで3年間、私も色々あったけど、話を聞いてくださって、いつも本当にありがとうございます。
これから私も地元でお店を開くという夢をもって、実現できるよう頑張るので、お店が出来たらその時は来てください。