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西日本豪雨から2年。一家が下した決断に密着! 7月21日OHK Live Newsの特集コーナーで放送しました。

2020.07.27

西日本豪雨から2年。一家が下した決断に密着!7月21日OHK Live Newsの特集コーナーで放送しました。OHKアナウンサー岸下恵介

取材させていただいたのは、真備町の自宅が被災し、町外のみなし仮設住宅に入居した田村政徳さん(86)と妻の末子さん(81)、娘の邦子さん(59)です。

西日本豪雨で、真備町の田村さんの自宅は全壊。その後、みなし仮設住宅で生活。

西日本豪雨のとき、田村さんは、いち早く自宅から近くの小学校に避難しました。

 
発災から2週間が経過した2018720日に、田村さん夫婦は避難所から被災した自宅に初めて向かいました。そこで目にしたのは46年暮らした自宅の変わり果てた姿でした。


真備町の自宅は全壊し、その後、倉敷市中島のみなし仮設住宅に移りました。

新しい生活に馴染む一方で、ある大きな問題に答えが出せない・・

みなし仮設住宅で暮らし始めて1カ月が経った2018928日。取材で伺うと、田村さん一家は新しい生活に馴染む一方で、ある大きな問題に答えを出せずにいました。

 

このまま故郷・真備町から離れて暮らすのか、

それとも元の場所に戻るのか


 田村政徳さんは、「もう避難しなきゃいけないような住み方はすまいと思ってるんですけどでも、真備町へはやっぱり帰りたいですね」と話す一方で、妻の末子さんは「真備はこわい、今住んでいる倉敷市中島は便利がいい」と話します。考えはなかなかまとまりませんでした。

悩んだ末に出した答えは「真備町に帰ること」

西日本豪雨から2年田村さん家族は元々暮らしていた真備町に引っ越しました。悩んだ末に下した決断は住み慣れた故郷・真備町に帰ることでした。市の利子補給金制度を活用し、元の場所に新しい自宅を建て直しました。

その理由を娘の邦子さんはこう話します。「何回か帰ってきてたんですけど、ここに帰ると両親の目の輝きがやっぱり。こわいこわい言いながら輝きが違って目がいきるんです。それを見てきてやっぱりここかなと思って。」いろいろと選択肢がある中で両親の表情を見たり、両親と話をする中で、1日でも長く真備に住んでほしいと思い、真備に家を建て直すことを決めたと娘の邦子さんはお話されていました。


引っ越しが終わった後、お話を聞くと、
田村政徳さんは「考えてみたら、これが家なんだ、我が家なんだと思ったらね。落ち着きますね、その一言です」、妻の末子さんは「2年前はこの先どないなるんじゃろうか思うてなぁ、不安でした。引っ越しを終えてうれしいですよ・・やっと帰れました」お二人とも満面の笑みで、邦子さんがお話されていたことが少し分かったような気持ちになりました。

田村さんがおっしゃっていたのは、避難所やみなし仮設住宅でお世話になった方々への感謝。そして、前向きに明るく過ごしていると何とかやっていけるということを被災されている方々に伝えたいということです。


これから暑い日が続きますが、お身体に気を付けて、故郷での生活を楽しんでくださいね!