2025.06.13
【OHKアーカイブ・ぶらり昭和100年】1)「下津井電鉄」若い世代へ受け継がれる77年の歴史【岡山】
エリアの昭和振り返る「ぶらり昭和100年」
2025年は昭和が始まって100年の節目です。OHKでは、「ぶらり昭和100年」と題し、アーカイブ映像を使って岡山・香川の歴史や文化を振り返る特集をシリーズでお届けします。
1回目は、地域の産業を支え地域の足として親しまれた鉄道、倉敷市の旧下津井電鉄の「記憶」をつなぐ物語です。
児島・下津井地域の産業・経済を支えた「レトロな列車」
瀬戸内海を望む倉敷市下津井の港。昔から変わらない空と海ですが、港町の表情はこの100年で大きく変わりました。
レトロな雰囲気を持つ車両がトコトコ走ります。
かつて塩田が広がり製塩業が栄えた児島と、瀬戸内海への玄関口だった下津井を結ぶため、大正初期の1914年に開通した下津井電鉄。大正が終わり1926年に幕を開けた昭和の時代には、地域の産業を支える交通機関として役割を担いました。

幅は新幹線の半分…狭いレールの規格「ナローゲージ」
その特徴は、「ナローゲージ」と呼ばれる一般的な鉄道よりも狭いレールの規格です。車内は新幹線の半分の幅しかなく、下津井港からフェリーで四国方面に渡る観光客なども多く利用しましたが、文字通りひざを突き合わせるように座っていました。
(観光客は…)
「電車じゃないみたい」
「私たちがいつも乗っている電車と雰囲気が違う」

瀬戸大橋開通の2年後 77年の歴史に幕を下ろした日は“涙雨”
昭和30年代には、年間300万人近くが利用した下津井電鉄。しかし車社会の到来や製塩業の斜陽化で利用客がどんどん減少し、昭和60年代には年間の利用者が30万人を下回りました。
廃線を決定的にしたのが、昭和63年、1988年に開通した瀬戸大橋です。下津井港からフェリーで四国方面に渡っていた観光客などは橋を利用するようになり、下津井電鉄は鉄道としての役目を終えました。
昭和が64年で終わり平成2年、1990年の大晦日、77年の歴史に幕をおろしました。この日は、晴れの国、岡山に冷たい雨が降っていました。

「最後の日」を運転士として見届けた下津井電鉄の藤原保志さん(62)は…
会社は鉄道事業から撤退しましたが、現在もバスなどを運行する交通事業者として、岡山の人から親しまれています。
廃線から35年。当時を知る社員は少なくなりましたが、62歳の藤原保志さんは今でもその姿が脳裏によみがえると言います。
(下津井電鉄児島営業所 藤原保志所長)
「廃線の少し前には土日に結構客が来て、(車両が重くて)坂を上がれない時も何回かあった」
藤原さんは昭和63年に入社し、最後の日まで運転士を務めました。
(下津井電鉄児島営業所 藤原保志所長)
「最終日にこの車両を運行する予定だったが、雨で真ん中の車両が濡れるので中止になって他の電車を運行した」
地域から親しまれ、時代の流れとともに姿を消した鉄道。時間の経過とともに人々の記憶から薄れていくことにさみしさを感じています。
(下津井電鉄児島営業所 藤原保志所長)
「若い人が下津井電鉄に乗ったことがなくても、下津井電鉄を愛していると言ったら大げさだが、ナローゲージが好きだとか、下津井電鉄が好きだと言ってくれたらうれしい」

「車両が傷んでいくのが忍びなかった…」先人の思いを受け継ぐのは39歳男性
藤原さんなど鉄道を守り継いだ人の思いは、新しい形でつながろうとしています。
(下津井みなと電車保存会 高尾智さん)
「こちらがメリーベル号です。当時はとても珍しいオープンデッキの車両。公園のようなベンチが配置されている」
かつて使われていた車両を保存し、歴史を伝える高尾智さん(39)です。
(下津井みなと電車保存会 高尾智さん)
「子供のころに踏切で電車が来るのを待っていて、まだかまだかとずっと待っていたのが記憶に残っている。ある程度大きくなって、ここで車両が保存されているのを知って、ただ車両が傷んでいくのが忍びなかったので自分でやってみようと思った」

「忘れ去られると何の意味もない」当時を知らない20歳の大学生“鉄道の記憶”を受け継ぐ決意
高尾さんは高校生の時に保存会をつくり、活動は2025年で23年目となります。高尾さんはかすかに鉄道の記憶がありますが、12人のメンバーの中には、廃線後に生まれ当時の記憶が全くない20歳の大学生もいます。鉄道が好きで高尾さんの車両整備を手伝う中で下津井電鉄への思いを膨らませました。
(阿部海渡さん)
「どんなに存在していても忘れ去られると何の意味もない。忘れ去られると先人たちが築いてきたものをなくしてしまう。それを引き継いでいけるようにしていきたい」
(下津井みなと電車保存会 高尾智さん)
「次の代につないでいきたいと思っていたので、彼がこういう発言をしたのはとてもうれしい」
記憶をつないでいくことで、今も未来に向かって走り続ける下津井電鉄。昭和100年の2025年、失われたものに思いを巡らすことは、地域に愛着を持つきっかけとなりそうです。
