
2025.03.13
支えは古里でも起きる「同じ証言」…“黒い雨”訴訟に岡山で一人で訴えを起こした84歳女性の思い【岡山】
広島の原爆投下直後に降ったいわゆる“黒い雨”が80年たった今も人々を苦しめています。“黒い雨”に遭ったとして被爆者認定を求め、一人で訴えを起こした岡山市に住む84歳の女性の思いを取材しました。
(原告の女性(84))
「4歳のころ、母親と一緒にお盆前の墓掃除に行った。帰りにちょっと畑にも寄ってということで行った。その時に遭った。黒い雨」
「姉が縫ってくれた一番大好きな服を着ていたので、その服が真っ黒になりだしたので、涙ぽろぽろ出していたら、母親が「帰ったらすぐ洗ってあげるから大丈夫よ」と」
Q:色は何色?
「ピンクでした」
岡山市に住む84歳の女性が話すのは、ふるさと広島での記憶です。原爆投下直後に降った、放射性物質を含むいわゆる「黒い雨」を浴びた記憶が鮮明にあると言います。
(原告の女性)
「東の山の方でピカッと光って、大きな音がした、それで何事だろうかと思っていたら、風も吹いてきて、いろんな焼け焦げたようなゴミが降ってきた。どうしたんだろうかと言っていたら、黒い煙が出てきて、もう帰ろうと言った。帰る支度をしていたら雨が降ってきた、黒い雨が。それで母親がすぐ自分のかぶっている麦わら帽子を私にかぶせて、母親は自分のタオルを頭にかぶって、それで帰った」
1945年8月6日。世界で初めて原子爆弾が広島に投下されました。爆心地周辺の温度は、3000度から4000度に達したと言われています。この年の12月末までに約14万人が亡くなったとされています。広島市の平和公園の慰霊碑に奉納されている原爆死没者名簿には、34万4306人が記載されています。
生き延びた被爆者も、放射線の後遺症に苦しみました。被爆者には、被爆者援護法に基づき「被爆者健康手帳」が交付されます。健康診断が無料で受けられ、国が指定する11の病気にかかると手当てが給付されます。しかし、国が定めた降雨域の外側にいた人は、被爆者と認められていませんでした。
被爆者と認められなかった84人が、「黒い雨」に遭ったと訴えを起こした広島での裁判。2021年7月の広島高裁判決は、国が主張する降雨域よりも広い範囲に降ったと判断し、救済の拡大を命じました。国は、黒い雨に遭ったことが否定できない、がんなど国が指定する11の病気にかかっているか白内障の手術歴がある、この2つの要件をいずれも満たせば被爆者と認め、被爆者健康手帳を交付する新しい基準の運用を2022年4月から開始しました。
(原告の女性)
「自己免疫性肝炎と多臓器不全と、まだたくさんある。白血球が人の倍以上、血液検査したらあるということで、大きい病院にかかったら即入院。動いたら呼吸困難になったり、めまいがしたりいろいろある」
女性は、6年前から体の不調に苦しんでいます。被爆者健康手帳の交付要件になっている病気を発症しました。
女性のふるさとは、広島県の西部、旧・津田町、現在の廿日市市津田です。新しい基準で追加された降雨域の外側に自宅はありました。
女性は、2024年3月、岡山県に被爆者健康手帳の交付を申請したものの7月に、「当時いた場所に黒い雨が降ったことが確認できない」として却下されました。女性は、却下取り消しを求めて、岡山で一人で闘う決意を固めました。
(原告の女性)
「私がこうやって出た限り、申請していない人、却下された人がいるはずだから。一人でも多くと思って。年齢が私最後ですから、元気でかなわないという人はいないと思うが、それでも今まで少しでもそういう(申請の)気持ちがあったのなら、一緒に頑張りたいと思って」
女性には、「黒い雨」に遭ったことを示せるものは残っていません。お気に入りのピンクの洋服も、母が被せてくれた麦わら帽子も。
女性と同様の訴えは広島地裁にも起こされていて、当時、津田町にいた女性の友人ら40人が黒い雨に遭ったと主張しています。
(代理人 則武透弁護士)
「ほとんどの人は彼女が言っていることがうそだとは思わないと思う。まずは彼女の証言を直接裁判所に突き付けることで信ぴょう性を吟味してもらう。第2に、彼女の同級生や、郷里の人はたくさん立ち上がっている、彼女一人が黒い雨に遭ったと言っているわけではないのだから、それが何より信ぴょう性だと思う」
戦後80年、多くの時間が残されているわけではありません。
(原告の女性)
「みんなが自分の寿命か、手帳がもらえるか、どっちが先になるか分からんよと友達が電話で言う。それでも「(裁判を)お願いしたから楽しみにして待とうね、たくさん払っている医療費も、少しでも楽になったらいいよ」と言ってくれる」
被爆者健康手帳の申請は、居住地の自治体に申請しなければならないため、女性は、岡山地裁に処分取り消しを求める訴えを起こしています。
岡山県の担当課は「申請却下処分は国の基準に従い、適正に処理を行ったものと認識している。なお、被爆者健康手帳の交付事務は、国が本来、役割を果たすべきで今後の訴訟の対応は国と協議していく」とコメントしています。
(原告の女性(84))
「4歳のころ、母親と一緒にお盆前の墓掃除に行った。帰りにちょっと畑にも寄ってということで行った。その時に遭った。黒い雨」
「姉が縫ってくれた一番大好きな服を着ていたので、その服が真っ黒になりだしたので、涙ぽろぽろ出していたら、母親が「帰ったらすぐ洗ってあげるから大丈夫よ」と」
Q:色は何色?
「ピンクでした」
岡山市に住む84歳の女性が話すのは、ふるさと広島での記憶です。原爆投下直後に降った、放射性物質を含むいわゆる「黒い雨」を浴びた記憶が鮮明にあると言います。
(原告の女性)
「東の山の方でピカッと光って、大きな音がした、それで何事だろうかと思っていたら、風も吹いてきて、いろんな焼け焦げたようなゴミが降ってきた。どうしたんだろうかと言っていたら、黒い煙が出てきて、もう帰ろうと言った。帰る支度をしていたら雨が降ってきた、黒い雨が。それで母親がすぐ自分のかぶっている麦わら帽子を私にかぶせて、母親は自分のタオルを頭にかぶって、それで帰った」
1945年8月6日。世界で初めて原子爆弾が広島に投下されました。爆心地周辺の温度は、3000度から4000度に達したと言われています。この年の12月末までに約14万人が亡くなったとされています。広島市の平和公園の慰霊碑に奉納されている原爆死没者名簿には、34万4306人が記載されています。
生き延びた被爆者も、放射線の後遺症に苦しみました。被爆者には、被爆者援護法に基づき「被爆者健康手帳」が交付されます。健康診断が無料で受けられ、国が指定する11の病気にかかると手当てが給付されます。しかし、国が定めた降雨域の外側にいた人は、被爆者と認められていませんでした。
被爆者と認められなかった84人が、「黒い雨」に遭ったと訴えを起こした広島での裁判。2021年7月の広島高裁判決は、国が主張する降雨域よりも広い範囲に降ったと判断し、救済の拡大を命じました。国は、黒い雨に遭ったことが否定できない、がんなど国が指定する11の病気にかかっているか白内障の手術歴がある、この2つの要件をいずれも満たせば被爆者と認め、被爆者健康手帳を交付する新しい基準の運用を2022年4月から開始しました。
(原告の女性)
「自己免疫性肝炎と多臓器不全と、まだたくさんある。白血球が人の倍以上、血液検査したらあるということで、大きい病院にかかったら即入院。動いたら呼吸困難になったり、めまいがしたりいろいろある」
女性は、6年前から体の不調に苦しんでいます。被爆者健康手帳の交付要件になっている病気を発症しました。
女性のふるさとは、広島県の西部、旧・津田町、現在の廿日市市津田です。新しい基準で追加された降雨域の外側に自宅はありました。
女性は、2024年3月、岡山県に被爆者健康手帳の交付を申請したものの7月に、「当時いた場所に黒い雨が降ったことが確認できない」として却下されました。女性は、却下取り消しを求めて、岡山で一人で闘う決意を固めました。
(原告の女性)
「私がこうやって出た限り、申請していない人、却下された人がいるはずだから。一人でも多くと思って。年齢が私最後ですから、元気でかなわないという人はいないと思うが、それでも今まで少しでもそういう(申請の)気持ちがあったのなら、一緒に頑張りたいと思って」
女性には、「黒い雨」に遭ったことを示せるものは残っていません。お気に入りのピンクの洋服も、母が被せてくれた麦わら帽子も。
女性と同様の訴えは広島地裁にも起こされていて、当時、津田町にいた女性の友人ら40人が黒い雨に遭ったと主張しています。
(代理人 則武透弁護士)
「ほとんどの人は彼女が言っていることがうそだとは思わないと思う。まずは彼女の証言を直接裁判所に突き付けることで信ぴょう性を吟味してもらう。第2に、彼女の同級生や、郷里の人はたくさん立ち上がっている、彼女一人が黒い雨に遭ったと言っているわけではないのだから、それが何より信ぴょう性だと思う」
戦後80年、多くの時間が残されているわけではありません。
(原告の女性)
「みんなが自分の寿命か、手帳がもらえるか、どっちが先になるか分からんよと友達が電話で言う。それでも「(裁判を)お願いしたから楽しみにして待とうね、たくさん払っている医療費も、少しでも楽になったらいいよ」と言ってくれる」
被爆者健康手帳の申請は、居住地の自治体に申請しなければならないため、女性は、岡山地裁に処分取り消しを求める訴えを起こしています。
岡山県の担当課は「申請却下処分は国の基準に従い、適正に処理を行ったものと認識している。なお、被爆者健康手帳の交付事務は、国が本来、役割を果たすべきで今後の訴訟の対応は国と協議していく」とコメントしています。