2025.01.15
きょう(1月15日)は何の日? タスキリレーで健脚競う!第3回金甲山駅伝大会(1982年)【岡山】
OHKのカメラが収めた岡山・香川の懐かしの映像で、ふるさとの歴史を振り返ります。今回は1982年(昭和57年)1月15日に岡山市で撮影された映像です。
OHKが主催し、1980年に始まった「金甲山駅伝大会」。この日行われた第3回大会は岡山市立平福小学校をスタートし、OHKなどの民放と、NHKの送信所がある金甲山までの間を往復する全長28.8キロメートルのコースで行われました。第3回大会では新たに女子の部が設けられ、前回より49チーム・490人多い1340人のランナーが出場し、健脚を競いました。
当時の資料では、この日は絶好の駅伝日和。映像にはタスキを付けたランナーが一斉にスタートし、沿道からは声援が送られていました。一般・大学男子の部、高校男子の部では、児島湾締切堤防で2人の選手が先頭を競い、金甲山付近の上り坂では岡山日大高校(現在の倉敷高校)の選手が粘りの走りを見せていました。
中継所ではタスキを渡す相手が見つからないというハプニングもありましたが、全チームのタスキは無事に最後までつながれました。
1969年に岡山県域局として開局したOHKは、その後、香川県も放送エリアとなり、当時、「テレビをきれいな画面で楽しもう!」運動を展開していました。そんな中、電波塔がある金甲山をコースに選び、始まったのがこの「金甲山駅伝大会」でした。大会は1999年まで続きました。
OHKが主催し、1980年に始まった「金甲山駅伝大会」。この日行われた第3回大会は岡山市立平福小学校をスタートし、OHKなどの民放と、NHKの送信所がある金甲山までの間を往復する全長28.8キロメートルのコースで行われました。第3回大会では新たに女子の部が設けられ、前回より49チーム・490人多い1340人のランナーが出場し、健脚を競いました。
当時の資料では、この日は絶好の駅伝日和。映像にはタスキを付けたランナーが一斉にスタートし、沿道からは声援が送られていました。一般・大学男子の部、高校男子の部では、児島湾締切堤防で2人の選手が先頭を競い、金甲山付近の上り坂では岡山日大高校(現在の倉敷高校)の選手が粘りの走りを見せていました。
中継所ではタスキを渡す相手が見つからないというハプニングもありましたが、全チームのタスキは無事に最後までつながれました。
1969年に岡山県域局として開局したOHKは、その後、香川県も放送エリアとなり、当時、「テレビをきれいな画面で楽しもう!」運動を展開していました。そんな中、電波塔がある金甲山をコースに選び、始まったのがこの「金甲山駅伝大会」でした。大会は1999年まで続きました。