OHK 8Ch

  • LINE友だち追加

2022.12.22

「重大な人権侵害」 解剖録が問いかけるもの…ハンセン病療養所【岡山】

特集は、シリーズ年末回顧、岡山県にある2つの国立ハンセン病療養所で、2022年、入所者の解剖録を巡って大きな動きがありました。解剖録が私たちに問いかけるものとは何なのか。振り返ります。

(人権擁護委員会 近藤 剛委員長)
「長年にわたって行われた 病理解剖や臓器保存は、重大な人権侵害だった」
解剖  1
瀬戸内市の国立ハンセン病療養所、邑久光明園で開かれた記者会見。入所者の解剖録について、人権侵害はなかったのかを検証してきた人権擁護委員会は、11月、報告書をまとめ「重大な人権侵害だった」と結論づけました。

同じ瀬戸内市にある長島愛生園では、1941年に55歳で亡くなった入所者、木村仙太郎さんの解剖録が一般公開されました。
解剖  2
(長島愛生園 山本典良園長)
「ハンセン病の偏見差別を解消するために、この企画展を企画した」
解剖  3
医師と遺族しか見られない解剖の記録が、全国で初めて展示されました。保管期限を過ぎ、廃棄されていてもおかしくなかった解剖録。2つの療養所には、入所者の記録が残されていました。
解剖  4
大阪から瀬戸内市に移され、1938年に開園した邑久光明園。開園からの60年間に亡くなった入所者1674人のうち、約7割にあたる1123人の解剖録の存在が明らかになりました。
解剖  5
(邑久光明園 青木美憲園長)
「ワーキンググループを立ち上げ、そこには、かつてこの解剖に当事者として 関わった医師も含まれている。過去長年にわたって行われてきた 病理解剖の実態を明らかにしたい」
解剖  6
弁護士や入所者などで作る園の人権擁護委員会は、資料の解析や聞き取りなどを行い、約2年をかけ検証を進めました。

解剖は、ハンセン病の治療法が確立された1950年代以降も高い確率で行われ、国の誤った政策、「らい予防法」が撤廃された後の1998年まで続きました。その多くは、入所者や遺族の同意が得られていませんでした。
解剖  7
ホルマリン漬けにされた臓器は、808人分保管管理されていて、一つの瓶に2人分が入れられていたこともあったといいます。

(人権擁護委員会 近藤 剛委員長)
「ほんとに学問的に 全数解剖する必要があったのか。きちんと検証、顧みることなく、漫然と解剖が行われてきた。解剖に承諾した入所者・遺族の気持ちをくみ取っていないまま行われてきた」
解剖  8
報告書にまとめられた証言です。
【1960年入所(入所当時20代)・Dさん男性】
「お通夜のときに、大学の先生が解剖に来て、亡くなった女性の夫ともめ事になった。大学の先生は解剖できるのがうれしそうだったが、夫は「あんなに痛がっていたのに、医者は薬も出してくれなかった。死んでまでも痛い思いはさせたくない」と言って解剖を拒否した。「入所者の最後の務めだろう!」「解剖はせん!」と大もめになり、結局そのときは解剖しなかった」
解剖  9
【解剖に従事した臨床検査技師】
「ここに赴任して解剖に関わるようになり、長時間にわたり脳から足先まで、眼球・睾丸、全部取るのにびっくりした。全員が取られていた」
「全身の臓器が取られていることは、入所者はわからなかっただろう。研究目的に熱心だったが、そこまで必要なのかと当時から疑問だった」

(邑久光明園入所者自治会 屋 猛司会長)
「初めから人権侵害だと分かっていた。解剖は、ものとしか見ていない。研究、若い研修医に勉強させるために やっていたとしか思えない」
解剖  10
(邑久光明園 青木美憲園長)
「施設を預かる者として、入所者、物故者に深くおわび申し上げたい」
解剖  11
人権擁護委員会は、報告書の最後に国に対し、次のように提言しています。

(人権擁護委員会 近藤 剛委員長)
「各療養所に残っている 解剖記録を含む医療記録、無らい県運動などの隔離政策を裏付ける 歴史資料、公文書、これを将来にわたって、適正に管理、保存していくことが求められている」
解剖  12
長島愛生園でも1834人の解剖録の存在が明らかになりました。開園翌年の1931年から1956年までの25年間に亡くなった入所者の記録です。
解剖  13
(長島愛生園 山本典良園長)
「開示できる世の中、ハンセン病による偏見差別が なくなる世の中になってほしい」
解剖  15
2022年、愛生園を訪れたのは木村仙太郎さんの遺族、木村真三さん。

(仙太郎さんの遺族 木村真三さん)
「黙ることで、家族を守る時代ではなく、公開することによって、社会的状況をみんなが考えてもらえる場にしなければと考えて公開に踏み切った」
解剖  16
仙太郎さんは、木村さんの祖父の兄、大伯父にあたります。木村さんは28歳の時、初めて、父親から仙太郎さんの存在を知らされました。故郷には石を置いただけの墓があり、胸を痛めたこともあったといいます。
解剖  17
(仙太郎さんの遺族 木村真三さん)
「仙太郎が療養所に入った後の跡取りは僕の祖父。祖父が木村家を継ぐ立場であった。ハンセン病と捉えられないようにするためには、形を消すしかなかったと思う。本当に(墓は)石ころ。それを見た時の無念さがあって、これは明らかにしないといけない」
解剖  18
解剖録の一般公開が始まった愛生園には、連日、多くの人が訪れています。長島愛生園の山本園長は、解剖録の展示を通して、訴えたいことがありました。
解剖  19
(長島愛生園 山本典良園長)
「解剖録は愛生園だけで1800以上、 診療録は7000。これをどうしますか?と。税金をかけて残していいですか? と問いかけができる。皆さんに考えてもらえる」
解剖  20
療養所は、入所者がいなくなれば役目を終え、なくなってしまう施設です。入所者の生きた証や歴史を伝える貴重な資料を、偏見差別の解消のためにどう生かしていけるのか。残された時間は、そう長くはありません。
解剖  21
*2022年11月末現在
【邑久光明園 入所者59人 平均年齢88歳】
【長島愛生園 入所者106人 平均年齢88・3歳】