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2022.08.12

「初めて父に会える気分」高梁市の83歳男性が戦没者追悼式で”追悼の辞” 苦しかった戦後を語る【岡山】

8月15日は、77回目の終戦記念日です。東京で行われる全国戦没者追悼式で、全国の遺族を代表して岡山県の男性が追悼の辞を述べます。どんな思いを胸に式に臨むのか、男性を取材しました。

(岡山県遺族連盟・大月健一理事長)
「父が久しぶりに出て来いと呼んでくれているのかな。皆さんの前で追悼の辞を 述べるのはありがたい」

全国戦没者追悼式で、全国の遺族を代表して追悼の辞を述べる、高梁市の大月健一さん(83)です。大月さんは日中戦争で父親、克巳さんを亡くしました。

(岡山県遺族連盟・大月健一理事長)
「(私が)生まれた時、父は戦死していた。私が母のお腹の中にいる時、召集で(戦争へ)行った」

克巳さんは1938年、陸軍へ入隊。中国の河北省で進軍中に銃弾を受け、26才の若さで戦死しました。大月さんが生まれたのは、その16日後。父親のいない生活は厳しくつらいことばかりだった、と当時を振り返ります。

(岡山県遺族連盟・大月健一理事長)
「お父さんがいる家は着るものも裕福、私は母が夜なべして繕ってくれた。破れた服の縫い目が分かるような ものを着て学校に行った。子供なりに何でこんなに 難儀しないといけないと常に思った。(母・姉と)家族3人泣いた夜は 何回もあった」

経済的にも厳しい環境を乗り越え、懸命に生きてきた大月さん。今回、追悼の辞を述べる機会が巡ってきたことで、苦労が報われた気分だといいます。

(岡山県遺族連盟・大月健一理事長)
「父親と会話ができるのかなと。83年経って初めて父に会える気分」

岡山県の代表が追悼の辞を述べるのは、1984以来2回目で、大月さんはウクライナの情勢にも思いを馳せながら、平和への願いを訴える予定です。

(岡山県遺族連盟・大月健一理事長)
「親を亡くした子供たちが、家もない食べるものもない状況。そういう子供たちが増えるのが 本当にかわいそう。日本から援助をできるだけでなく一生懸命援助して、子供たちを救うのが 我々生きている者の義務だと思う」