2022.07.18
命を守りたい…“災害時の音”を聴覚障害者に直接届けるシステム開発を 医師の挑戦【岡山】
岡山市の岡山大学病院の医師が、聴覚障害者に直接、音の情報を届ける新しいプロジェクトに挑んでいます。災害などから命を守りたいという医師の取り組みを取材しました。
(富士通Ontenna プロジェクトリーダー 本多達也さん)
「音の大きさを振動と光の強さに変換して、音の特徴を聴覚障害者に伝えるというもの。声が大きいと強く光って、強く振動して、音が小さいと弱く光り振動する」
6月、岡山市の岡山聾学校で、新しいプロジェクトの説明が行われました。プロジェクトを進めるのは、岡山大学病院耳鼻咽喉科の医師、片岡祐子さんです。
(岡山大学病院耳鼻咽喉科 片岡祐子医師)
「2回の予定でお願いできれば。機器を装用している時と、していない時でさせてもらえたら」
(岡山聾学校 片山伸吾校長)
「避難訓練の計画の中でテストというか」
片岡さんは、聴覚障害者向けの新しい機器の開発について、聾学校の児童や生徒に協力を求めにやってきました。
(岡山大学病院耳鼻咽喉科 片岡祐子医師)
「(災害が)起きた時に、他の人を介してではなく、リアルタイムに自分で気付けるものがあるのが望ましいと思った。夢を形に変えていけたら」
全国の聾学校などで活用されている機器、「オンテナ」です。聴覚障害者が身に付け、リズムをとったり、みんなでタイミングを合わせる時などに使われています。
片岡さんが進めているのは、この「オンテナ」の開発者と共に、音の種類を識別して、命を守るための音の情報を届けるシステムを作る取り組みです。
(富士通Ontenna プロジェクトリーダー 本多達也さん)
「聾学校の子供たちが必要としている、サイレンや救急車インターホンの音、音を識別をして掲示するシステムを作れないかと一緒に立ち上げたプロジェクト」
6月、片岡さんはデンマークを訪れ、補聴器などの最先端技術を視察しました。3年後には、新たな機器を完成させたいとしています。
(岡山大学病院耳鼻咽喉科 片岡祐子医師)
「やはり情報のバリアがある。それが命に関わることもある。何とかこれを救えるような プロジェクトにしていきたい」
片岡さんが、この日、訪れたのは、学校の片隅に建てられた慰霊碑。1950年12月20日の未明、盲学校と聾学校の子供たちが暮らす2階建ての寄宿舎が、火事で全焼しました。1階で寝ていた盲学校の子供たちは全員無事だったものの、2階にいた聴覚障害者72人のうち、小学部の1年から5年までの16人が亡くなりました。
(岡山大学病院耳鼻咽喉科 片岡祐子医師)
「今もまだその状況が変わっていなくて、災害の時に困っている人たちがたくさんいる事実があるから、何か次の一手を担っていけたら」
現在、聾学校では、危険を光や文字で知らせる非常ランプが設置されている他、定期的に避難訓練も行われていますが、片岡さんが開発を目指す機器を使えば、より安全な避難が可能になるといいます。
片岡さんは医師として、多くの聴覚障害者と向き合ってきました。目指すのは、誰でも安心して暮らせる社会の実現です。
(岡山大学病院耳鼻咽喉科 片岡祐子医師)
「(医師としての)責任もある。医療での限界を、福祉や開発でつなげていけたら」
(富士通Ontenna プロジェクトリーダー 本多達也さん)
「音の大きさを振動と光の強さに変換して、音の特徴を聴覚障害者に伝えるというもの。声が大きいと強く光って、強く振動して、音が小さいと弱く光り振動する」
6月、岡山市の岡山聾学校で、新しいプロジェクトの説明が行われました。プロジェクトを進めるのは、岡山大学病院耳鼻咽喉科の医師、片岡祐子さんです。
(岡山大学病院耳鼻咽喉科 片岡祐子医師)
「2回の予定でお願いできれば。機器を装用している時と、していない時でさせてもらえたら」
(岡山聾学校 片山伸吾校長)
「避難訓練の計画の中でテストというか」
片岡さんは、聴覚障害者向けの新しい機器の開発について、聾学校の児童や生徒に協力を求めにやってきました。
(岡山大学病院耳鼻咽喉科 片岡祐子医師)
「(災害が)起きた時に、他の人を介してではなく、リアルタイムに自分で気付けるものがあるのが望ましいと思った。夢を形に変えていけたら」
全国の聾学校などで活用されている機器、「オンテナ」です。聴覚障害者が身に付け、リズムをとったり、みんなでタイミングを合わせる時などに使われています。
片岡さんが進めているのは、この「オンテナ」の開発者と共に、音の種類を識別して、命を守るための音の情報を届けるシステムを作る取り組みです。
(富士通Ontenna プロジェクトリーダー 本多達也さん)
「聾学校の子供たちが必要としている、サイレンや救急車インターホンの音、音を識別をして掲示するシステムを作れないかと一緒に立ち上げたプロジェクト」
6月、片岡さんはデンマークを訪れ、補聴器などの最先端技術を視察しました。3年後には、新たな機器を完成させたいとしています。
(岡山大学病院耳鼻咽喉科 片岡祐子医師)
「やはり情報のバリアがある。それが命に関わることもある。何とかこれを救えるような プロジェクトにしていきたい」
片岡さんが、この日、訪れたのは、学校の片隅に建てられた慰霊碑。1950年12月20日の未明、盲学校と聾学校の子供たちが暮らす2階建ての寄宿舎が、火事で全焼しました。1階で寝ていた盲学校の子供たちは全員無事だったものの、2階にいた聴覚障害者72人のうち、小学部の1年から5年までの16人が亡くなりました。
(岡山大学病院耳鼻咽喉科 片岡祐子医師)
「今もまだその状況が変わっていなくて、災害の時に困っている人たちがたくさんいる事実があるから、何か次の一手を担っていけたら」
現在、聾学校では、危険を光や文字で知らせる非常ランプが設置されている他、定期的に避難訓練も行われていますが、片岡さんが開発を目指す機器を使えば、より安全な避難が可能になるといいます。
片岡さんは医師として、多くの聴覚障害者と向き合ってきました。目指すのは、誰でも安心して暮らせる社会の実現です。
(岡山大学病院耳鼻咽喉科 片岡祐子医師)
「(医師としての)責任もある。医療での限界を、福祉や開発でつなげていけたら」