2021.11.22
困難乗り越え全国2連覇!勝利の先に見えたもの…障害者野球「岡山桃太郎」【岡山】
岡山県の障害者野球チーム、「岡山桃太郎」が11月7日、兵庫県で開かれた全国大会で優勝し、2連覇を達成しました。
新型コロナに仲間の死、いくつもの困難を乗り越え、手にした勝利の先に見えたものとは?
障害があっても、自分のできる精一杯のプレーをする!それが障害者野球のルールです。
(岡山桃太郎のメンバー)
「頑張って優勝する」
「勝てると思う」
「てっぺんを目指す」
岡山県の障害者野球チーム「岡山桃太郎」。2連覇をかけた秋の全国大会へのドラマが始まります。
「岡山桃太郎」では、下は高校生から上は81歳までの選手たちが、日本一を目指して練習を続けています。
37年前の結成当時は、野球を楽しむことがメインのチームでしたが、ここ数年、甲子園に出場経験がある選手など、3人の元・高校球児が入団し、チームは飛躍的に強くなりました。
元高校球児の3人は同級生、特に、エースの早嶋健太さんは、生まれつき左手が不自由ですが、障害者野球の世界大会でMVPに選ばれるほどの実力の持ち主です。
早嶋さんの活躍で、岡山桃太郎は2度の全国優勝を果たすなど、チームは勢いに乗っていました。
しかし、2020年の大会は、新型コロナウイルスの感染拡大で中止に。相次ぐ緊急事態宣言などで選手たちは、思うような練習もできませんでした。
さらにこの春。
(岡山桃太郎のメンバー)
「勇姿というか、遺影というか、杉野さんが見守ってくれるだろう」
選手たちの世話を一手に引き受け、チームを影で支えた仲間、杉野正直さん(享年68)が病気で亡くなったのです。
(薮下勝浩コーチ)
「黙祷」
「クーラーボックスも用意できてません。各自で飲料水も用意してください」
「当然救急箱もありません」
(樋口郁雄選手)
「してもらって当たり前のようだったが、杉野さんが抜けてからこんなことまでしてくれていたのかと、杉野さんの偉大さを感じる」
杉野さんを失ったチームは、崩壊寸前でした。
(早嶋健太選手)
「チームががたがた、大黒柱が1本なくなった感じ」
更に、夏のある日の練習試合では。
(遠くでもめている様子)
(薮下勝浩コーチ)
「若い人の文句が多い。チームに対して身勝手な発言が多いので、きれている」
口をついて飛び出す先輩の審判への不満。
大黒柱を失ったチームは、勝利を目指すあまり、明らかに空回りしていました。
(謝りにいった様子)
「すみませんでした」
特に若い選手たちは何かを見失っていました。
(早嶋健太選手(26))
「乗り越えるものだとは思う。どうしていいか分からない」
あれから4カ月…。
(若手が働く・ベテランとかけあう様子)
若い選手たちの様子が変わっていました。
早嶋さんの姿勢も変化し始めていました。
(早嶋健太選手)
「どんどん上を目指していく中で、1つしか見えなかったが、みんなから色んなアドバイスもらったら、楽しく野球をやろうと」
世界の舞台で、勝ちにこだわってきた早嶋さんの心を、チームの原点に引き戻したのは、同級生の仲間の言葉でした。
(早嶋健太選手)
「知らず知らず独りになっていた部分もあった。そういった時に同年代の仲間と話した時に、今独りになっとると言われて、そうだと。それに気付けて、いい仲間持ったなと」
【全国大会 決勝当日】
2年ぶりに開催された秋の全国大会。全国から勝ち上がった6チームが出場しました。彼らが出した答えは、日本一をかけたこの試合の中にもありました。順調に決勝にコマを進めた岡山桃太郎。決勝の相手は、2年前と同じ名古屋のチームです。
(試合開始)
桃太郎は、1回裏。先頭の早嶋さんがツーベースヒットで出塁します。2アウト3塁で迎えたのは、早嶋さんを支える同級生の1人、4番浅野僚也さん。サードへの当たりが内野安打となり、1点を先制します。
一方、先発の早嶋さん、この日は、毎回ランナーを背負う苦しいピッチング。しかし、バックの好守が早嶋さんを盛り立てます。仲間の援護を背に早嶋さんも気迫の投球で相手に得点を与えません。
1対0のまま迎えた最終回、2アウト3塁2塁の一打逆転のピンチを迎えます。
(早嶋健太選手)
「みんながついてきてくれていたことに気づけた。そこから気持ちも楽になった。みんなを信じられた」
そして…(三振)
見事2連覇、3度目の日本一を勝ち取りました。
(福間幸夫選手(81))
「うれしい。最高のチームができた」
(浅野僚也選手(26))
「みんなで一つになれて仲間の大切さを実感できた」
(早嶋健太選手)
「みんなと楽しくできたと思う」
「いい仲間と野球ができて幸せ」
いくつもの困難を乗り越え手にした勝利。早嶋さんが、そして、チームが手にしたのは、日本一の栄光よりも遥かに輝く仲間との絆でした。
新型コロナに仲間の死、いくつもの困難を乗り越え、手にした勝利の先に見えたものとは?
障害があっても、自分のできる精一杯のプレーをする!それが障害者野球のルールです。
(岡山桃太郎のメンバー)
「頑張って優勝する」
「勝てると思う」
「てっぺんを目指す」
岡山県の障害者野球チーム「岡山桃太郎」。2連覇をかけた秋の全国大会へのドラマが始まります。
「岡山桃太郎」では、下は高校生から上は81歳までの選手たちが、日本一を目指して練習を続けています。
37年前の結成当時は、野球を楽しむことがメインのチームでしたが、ここ数年、甲子園に出場経験がある選手など、3人の元・高校球児が入団し、チームは飛躍的に強くなりました。
元高校球児の3人は同級生、特に、エースの早嶋健太さんは、生まれつき左手が不自由ですが、障害者野球の世界大会でMVPに選ばれるほどの実力の持ち主です。
早嶋さんの活躍で、岡山桃太郎は2度の全国優勝を果たすなど、チームは勢いに乗っていました。
しかし、2020年の大会は、新型コロナウイルスの感染拡大で中止に。相次ぐ緊急事態宣言などで選手たちは、思うような練習もできませんでした。
さらにこの春。
(岡山桃太郎のメンバー)
「勇姿というか、遺影というか、杉野さんが見守ってくれるだろう」
選手たちの世話を一手に引き受け、チームを影で支えた仲間、杉野正直さん(享年68)が病気で亡くなったのです。
(薮下勝浩コーチ)
「黙祷」
「クーラーボックスも用意できてません。各自で飲料水も用意してください」
「当然救急箱もありません」
(樋口郁雄選手)
「してもらって当たり前のようだったが、杉野さんが抜けてからこんなことまでしてくれていたのかと、杉野さんの偉大さを感じる」
杉野さんを失ったチームは、崩壊寸前でした。
(早嶋健太選手)
「チームががたがた、大黒柱が1本なくなった感じ」
更に、夏のある日の練習試合では。
(遠くでもめている様子)
(薮下勝浩コーチ)
「若い人の文句が多い。チームに対して身勝手な発言が多いので、きれている」
口をついて飛び出す先輩の審判への不満。
大黒柱を失ったチームは、勝利を目指すあまり、明らかに空回りしていました。
(謝りにいった様子)
「すみませんでした」
特に若い選手たちは何かを見失っていました。
(早嶋健太選手(26))
「乗り越えるものだとは思う。どうしていいか分からない」
あれから4カ月…。
(若手が働く・ベテランとかけあう様子)
若い選手たちの様子が変わっていました。
早嶋さんの姿勢も変化し始めていました。
(早嶋健太選手)
「どんどん上を目指していく中で、1つしか見えなかったが、みんなから色んなアドバイスもらったら、楽しく野球をやろうと」
世界の舞台で、勝ちにこだわってきた早嶋さんの心を、チームの原点に引き戻したのは、同級生の仲間の言葉でした。
(早嶋健太選手)
「知らず知らず独りになっていた部分もあった。そういった時に同年代の仲間と話した時に、今独りになっとると言われて、そうだと。それに気付けて、いい仲間持ったなと」
【全国大会 決勝当日】
2年ぶりに開催された秋の全国大会。全国から勝ち上がった6チームが出場しました。彼らが出した答えは、日本一をかけたこの試合の中にもありました。順調に決勝にコマを進めた岡山桃太郎。決勝の相手は、2年前と同じ名古屋のチームです。
(試合開始)
桃太郎は、1回裏。先頭の早嶋さんがツーベースヒットで出塁します。2アウト3塁で迎えたのは、早嶋さんを支える同級生の1人、4番浅野僚也さん。サードへの当たりが内野安打となり、1点を先制します。
一方、先発の早嶋さん、この日は、毎回ランナーを背負う苦しいピッチング。しかし、バックの好守が早嶋さんを盛り立てます。仲間の援護を背に早嶋さんも気迫の投球で相手に得点を与えません。
1対0のまま迎えた最終回、2アウト3塁2塁の一打逆転のピンチを迎えます。
(早嶋健太選手)
「みんながついてきてくれていたことに気づけた。そこから気持ちも楽になった。みんなを信じられた」
そして…(三振)
見事2連覇、3度目の日本一を勝ち取りました。
(福間幸夫選手(81))
「うれしい。最高のチームができた」
(浅野僚也選手(26))
「みんなで一つになれて仲間の大切さを実感できた」
(早嶋健太選手)
「みんなと楽しくできたと思う」
「いい仲間と野球ができて幸せ」
いくつもの困難を乗り越え手にした勝利。早嶋さんが、そして、チームが手にしたのは、日本一の栄光よりも遥かに輝く仲間との絆でした。