2020.10.30
驚きの事実「高松市」地名のルーツ?高松城は、こんなところにあった! … 喜岡寺(金バク!2020年10月30日OA)
喜岡寺のご住職によると、1587年に讃岐一国の領主となった生駒親正が今の場所に高松城を築く300年近く前の鎌倉時代末期、舟木 頼重(よりしげ)がこの地にかまえていた城が高松城と呼ばれていたそうです。
その広さは、喜岡寺を中心に四方400mほどあったのだとか。
かつて、城があったということから、この地域を「古高松」と呼ぶのだとか。
その広さは、喜岡寺を中心に四方400mほどあったのだとか。
かつて、城があったということから、この地域を「古高松」と呼ぶのだとか。
施設情報
喜岡寺
- 住所:高松市高松町1727-5
境内はかつて高松城の本丸であったとされ「高松城跡」の石碑がある
この高松城は現在の高松城(別名:玉藻城)とは別の城であるが、玉藻城の名前はこの「高松」を引き継いだとも言われていて、高松市の地名のルーツかもしれない。
※2020年10月30日現在の情報です