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当時と今の映像から振り返る…西日本豪雨から2年 まちはどう変わったのか【岡山】

2020.07.06

当時と今の映像から振り返る…西日本豪雨から2年 まちはどう変わったのか【岡山】

西日本豪雨から2年、濁流に飲まれたまちはどう変わったのか、当時と今の映像から振り返ります。

あれから3回目の七夕。真備町の駅に思い思いの願いを書いた短冊がありました。この場所も2年前は水に浸かりました。

(空撮ON)
「ほとんどのエリアが水に浸かっています」

町の3割が浸水したのは、川の堤防が8カ所で決壊したからでした。

(切れたON)
「いけん…切れた……切れた」

小田川の支流、高馬川もその1つです。

(竹下美保記者)
「今は堤防の拡幅などの補強対策が進んでいます」

岡山県や倉敷市などは堤防の復旧を進め、さらに強くするための工事も続けています。川の側には重機や資材が置かれ、元あった家々はまだ戻っていません。

(大山崇記者)
「午前10時を過ぎ、かなり暑くなってきました。避難者にとって不安な避難生活が続いています」

大勢が身を寄せた子供たちの学び舎。
豪雨から5カ月余りで倉敷市の避難所はすべて解消され、体育館は元の様子を取り戻していました。大量の災害ゴミの置き場になっていたグラウンドは子供たちのための場所に戻っています。

(岸下恵介アナ)
「井原線の所にオレンジのラインがあり、高さ5メートルあります。あの時はあそこまで、水が来ました」

浸水の高さを示すオレンジのライン。

復興の途中にあるまちにあの日の被害と教訓を刻んでいます。元に戻ったことも、まだ戻らないことも。あれから2年、復興の誓いを新たにする節目でもある7月6日、駅の短冊にこんな願いを見つけました。

「あたりまえが実現しますように」。